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2008年05月29日

聞得大君御殿を救った女官

最近、自分のブログ管理すらままならない状況です。
いかんな~。

首里城公園友の会の会報に掲載した、記事を転載します。

琉球歴史人物館
仲程大阿母志良礼~聞得大君御殿を救った女官~


 首里城や周辺の御殿には、政治・行政を担当する男性役人の他、国王や王族の世話や祭事の職務を担当する女官がいました。『女官御双紙』によると、首里城内の女官は大勢頭部を最高位に、勢頭部、あむしられ(阿母志良礼・あんしたり)、あねべ、あがまといった序列で組織化されていたことが分かります。男性役人に比べ、女官や神女に関する職務や人物像については家譜にも記録されておらず、なかなか実態が分からない状況ですが、今回は『球陽』に記録された女官・仲程大阿母志良礼(おおあむしられ)について紹介します。
 仲程大阿母志良礼は、尚敬王代に王国の最高神女である聞得大君に仕えた女官です。当時の聞得大君は、尚敬王の母親にあたる前王尚益王妃坤宏で、屋敷は汀志良次村(汀良町)にあったようです。『球陽』の尚敬三十二年(一七四四)の記述を意訳すると次のように記されています。

聞得大君国母宮が火災にあう
国母宮(聞得大君御殿)が七月十九日夜、火災にあった。御殿の女官に仲程大阿母志良礼という者がおり、この火災にもあわてずに御殿の責任者たる大親に報告し、次に庭門を開いて国母(聞得大君)を避難させ、女官や官吏に警護にあたらせた。さらに蝋燭をとって再び建物内に入り、宝物の所在を役人衆に指示した上で、聞得大君の輿に従って首里城に入った。尚敬王と王妃は火災の鐘の音を聞き、国母を首里城へ出迎えた。この大阿母志良礼の機転によって、人間も宝物も火災を免れたことから、紬や糸錦などの褒美が与えられた。

 これによると、仲程大阿母志良礼は聞得大君御殿の火災に際し冷静沈着に対応し、大君や宝物を守るといった大活躍をしています。宝物の場所を役人に指示していたことから御殿の内部の状況に詳しい上級の女官だったのかもしれません。
湧上元雄氏によると、この仲程大阿母志良礼は久高島の外間ノロ殿内の元祖・仲程ノロとして伝えられているようです。久高島では、聞得大君御殿の火神(御火鉢の御前)に奉仕するアガマー(あがま)を勤めた女性が島に帰り、ノロ職を継ぐ例が複数あるらしく、久高島の祭祀が王宮儀礼風の趣を留めているのも、聞得大君御殿で勤めた女性たちの影響があるようです。
聞得大君御殿では「火鉢のあむしられ」と呼ばれる女官もしくは神女が、御火鉢の御前を祀っており、仲程大阿母志良礼はその職務にあたった女性だったと想定されます。聞得大君の火神を祀る女官が、大火から人々を守るという話は、まさに火神の加護があったのかもしれません。

参考文献:湧上元雄「イザイホー見聞録」『沖縄久高島のイザイホー』1993年砂子屋書房




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Posted by りゃん at 22:04│Comments(0)その他
 
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