› liangかわらばん › 首里城公園友の会2008年08月07日
イヌマキ育樹祭開催
去った8月2日(土)。首里城公園友の会によるイヌマキ育樹祭が行われました。
イヌマキは、沖縄の建築用材として重要な木です。将来の首里城の修復の材料として利用してもらおうと平成5年に辺野木ダム近くの県有地に植樹し、最近では毎年2回、その成長と見ながら下草刈りや肥料やりを行っています。
真夏の今回の作業は、総勢約60人余りが参加。
非常に暑かったです。
帰りにはオプションコースとして、しめじ園とオリオンビール工場を見学し、お土産と美味しいビールをいただいて帰りました。
育樹祭の状況です

作業後にぜんざいをいただきました。事務局メンバー(友の会運営委員と管理財団の職員さん)です
しめじ工場でお買い物とオリオンビール工場見学
写真提供:トーヤマタルー氏
2008年05月30日
首里城公園友の会文化公演会
まずは、総会と記念講演会です。
ちなみに私は今回、総合司会を担当します。
講演会は一般の方も参加できますのでお誘い合わせの上、お越し下さい。
以下、お知らせです・・・
演 題; 「首里城公園の今と今後」
講 師;後藤 和夫 氏
(内閣府 沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所長)
日 時;平成20年6月21日(土)
午後2時半頃(総会終了後)から4時
場 所;沖縄都ホテル地階(虹雲の間)
主 催;首里城公園友の会
☆どなたでも参加できます
問い合わせ先
首里城公園友の会事務局
〒903-0815
沖縄県那覇市首里金城町1-2
Tel098-886-2020/Fax098-886-2919
2008年04月01日
伊是名島巡見
3月29日(土)、30日(日)の1泊2日、首里城公園友の会による伊是名島巡見に行って参りました。
一応、講師という名目だったのですが、講師の貢献度よりも企画勝ち!といった感じでなかなか有意義な2日間でした。
今回の参加者は、事務局を含めて総勢26名。
29日の朝一便にて伊是名島へ渡ると、宿泊予定の「なかがわ館」の中川さんがバスにてお迎えに来てくださいました。
昼食をとって、さて島内巡見。
色々話さねばと若干緊張していると、中川さんがバスの中から現地から、見事なガイドをしてくださいました
私も思わず、普通にお勉強・・・。
一応、私の今回のテーマは、尚円王に縁のある家柄・四殿内に関わる話をメインに考えていたので、役割分担はできたのですが、自分の仕事を忘れて、島の伝承や言われを含めて楽しんでしまいました
昼間の主な巡見コースは、尚円王御庭公園(みほそ所、潮平御川) → 逆田 → 銘苅殿内(銘苅家住宅) → 伊是名村ふれあい民俗館 → 伊是名島森林公園(展望台、サムレー道) → 伊是名玉御殿 といったところ(文化財・史跡の部分のみ抽出)。

上の写真は、尚円王(金丸)の生家跡・「みほそ所」で解説する中川さん。
伊是名玉御殿の前での記念撮影
そして夜の部は、伊是名村産業支援センターで行われた、伊是名の子供たちを中心に演じられる「史劇・尚円~松金が行く」を見に行きました。今回、偶然日程が重なったのでオプションという形でご案内したのですが、参加者ほぼ全員で見て参りました。
子供たちが非常にかわいくて、なかなか見事なものでした。途中に、勢理客の豊年祭で行われるウンナー(綱引き)のシーンも出たりと本格的でした。
ラストシーンは定番のポーズ
ここ数年は伊是名といえばこのポーズですね。
会場では席を確保するために、事前に予約を入れていたら、なんと特等席を確保していただいていました。
伊是名の方々のご配慮に感謝すると共に、非常に恐縮です・・・
(沖縄ツーリストの添乗だったので、その予約名です)。
そして翌30日午前中も、当初はフリー企画だったのですが、ここでもオプションとして、伊是名島のNPO島の風の理事長である納戸さんより、現在、島で行っている古民家再生事業などのレクチャーをしていただきました。
こちらも、全員が参加していただき、納戸さんの島に対する熱い思いや、島の取組みを熱心に聞いていただきました。
上の写真は、現在改修中の字勢理客の民家です。

勢理客公民館での納戸さんのレクチャー。
皆さん何度も頷いたり、一生懸命聞いてくださいました。
島の風の活動は、古民家再生だけではなく、11月に行われた銘苅家住宅を活用した「しまあかりプロジェクト」のコンサートの様子やエコバックの利用など多彩で、伊是名島だけではなく、色々な地域で応用できる発想ではないかと思いました。
1泊2日の短くて、でも非常に盛りだくさんの伊是名ツアーでした。
本当ならば、時間を忘れて島の風景をぼんやり眺める時間も欲しかったのですが、団体でのツアーなのでさすがにかないませんでした。
伊是名島は大好きな場所のひとつなので、また機会を見つけて今度はゆっくり遊びにいきたいと思います。
・・・今回のまとめを見てみると、私は講師というより、ツアコンか?といった感じですが、詳細はそれぞれ別に紹介したいと思います
当然ですが私のカメラなので、私の解説している写真が一枚もないという・・・悲しい結果になりました。参加者の方々も一生懸命聞いてくれてたのでおそらく、誰も撮影してくれていないと、思います
解説したという証拠がないのだよ~
首里城公園友の会の平成19年事業は無事終わりました。
そしてまた平成20年度事業も、楽しい企画と共に、私も色々楽しい体験ができればな、と思います。
****************************************
首里城公園友の会、平成20年度会員様随時受け付中です
問い合わせ先
首里城公園友の会事務局
(首里城公園管理センター内)
℡098-886-2020
****************************************
2008年03月23日
首里城周辺めぐり
3月22日(土)、首里城公園友の会主催の「首里城周辺めぐり」が行われました。
今回の講師は、琉球大学教授の高良倉吉先生。会員さんと25名と共に、約2時間強のコースを歩いてきました。
首里城 → 中城御殿跡・大美御殿跡 → さくの川(カー) → 本覚山 → 宝口樋川・紙漉所跡 →太平橋跡 というコースで、首里の坂道を登ったり、下ったりという工程でしたが、なかなか個人では行かない場所もあったりと新鮮な周辺めぐりでした。
今回の目玉は、本覚山(金武御殿の墓)でした。尚豊王の母親のために立てられたとされる墓であり、横には「本覚山碑文」という石碑も現存しています
その他、さくの川では芭蕉紙、宝口樋川では百田紙が漉かれていたそうです。人々の生活だけでなく、王国時代の政治・外交に必要な紙の製作にも、首里の井泉は重要な役割を果たしていたのですね。

さくの川(カー)です。今でもコンコンと水が湧いています。
本覚山では、しっかり腰をおろして、じっくりと碑文の内容についてのレクチャーを受けました。
後方左側に見えるのが、本覚山碑文です。
宝口樋川にて。
首里城公園友の会の平成19年度事業も、残るは来週の伊是名巡見のみ。
さあ、楽しく安全に成功させねばと、意気込み満点です。
*****************************************
首里城公園友の会、平成20年度会員様随時受け付中です
問い合わせ先
首里城公園友の会事務局
(首里城公園管理センター内)
℡098-886-2020
*****************************************
2008年02月08日
首里城公園友の会文化講演会
一般の方も参加できるそうなので、お気軽にどうぞ。
私は行きたかったけど、お仕事が入りました・・・残念
首里城文化講演会 瓦と漆喰シーサー
首里城復元の瓦製作と瓦工事の大役を果たした奥原崇典さんに瓦と漆喰シーサーについてお話していただきます。
今でこそ、赤瓦屋根にシーサーが鎮座しているのが沖縄の風習として知られていますが、実はシーサーが赤瓦屋根に鎮座するようになり、県民により身近で親しみやすい存在になったのは瓦職人と深い関係が・・・!!
瓦職人として数々の実績を積む一方、画家としても著名である奥原崇典氏の講演会に、ぜひ皆様お誘い合わせの上おこしください。
講師:奥原崇典氏(瓦職人)
日時:平成20年2月23日(土)午後2時~3時半
場所:沖縄都ホテル(地階・瑞雲の間)
電話 098-887-1111
地図はこちら
入場無料
主催:首里城公園友の会
電話 098-886-2020
2008年01月13日
イヌマキ育樹祭
イヌマキ(方言名:チャーギ)は、沖縄の伝統的建築用材で首里城にも使用されています。
100年後、200年後の復元の時に活用してもらえたらとの思いをこめて、友の会にて平成4年に植えたものを、その成長を見に行くという企画です。
作業は下草刈りと肥料やり。
普段、鎌を持つ機会のない私も会員の皆さんと共に、一生懸命草を刈ってきましたよ。
例年はひんやりした空気での作業なのですが、昨日は夏のような暑さ、久々に汗をかいていい運動になりました。
2007年08月21日
首里城親子見学会
今回は予想以上の反響だったため、首里城の学芸員さんと、35人ずつの2班に分かれての開催。
子供たちは、上は小学校5、6年生、下は1年生と年齢にバラツキはあったのですが、和気あいあいで2時間を満喫してきました。
18:30に守礼門前を出発して、御庭・正殿につく頃にはもう真っ暗。
低学年の子供たちを、どうやって暗い首里城をびびらせようかと一瞬考えましたが、
「どうして王様は、今いないの?なんで死んだの?」
と質問攻めする無邪気な子供たちの勢いに負け、結局は子供たちペースでしたが・・・

昼は「燃ゆる首里城」の鑑賞。夜は親子見学会。
子供たちに元気をもらいながら、首里城を満喫した一日でした。
2007年07月26日
総会記念講演会報告
内容は、友の会会報より転載です(文責は私・・・)

首里城公園友の会・総会記念講演会
500年前の沖縄移住ブーム‐那覇にあった「日本人町」‐
上里隆史氏をお招きして・・・
総会記念講演会では、法政大学沖縄文化研究所国内研究員の上里隆史先生による「500年前の沖縄移住ブーム‐那覇にあった「日本人町」‐」をテーマに講演が行われました。上里先生は、友の会文化講演会における最年少講師になりますが、会員をはじめ大勢の方々が集まり、超満員の会場で大盛況に終わりました。その講演概要を紹介します。
古琉球の那覇を描いた「琉球国図」によると、浮島状の那覇に久米村の他、「日本人・本島人(琉球人)」の家が存在し、日本人の長期滞在施設(居留地)が琉球人と雑居していることが確認できます。古琉球期の那覇は、中国人居留地の「久米村」を中心に、日琉雑居の那覇(西・東)・若狭町・泉崎が囲む状況が概念的に捉えられます。
「日本人町」があった痕跡として、禅宗寺院や地蔵堂など日本的施設が那覇に集中しておち、若狭町の波上熊野権現やヤマト人墓地などが、その存在を裏付けています。また、那覇に移住していた日本人として、朝鮮・琉球間を往来する博多商人や堺商人、琉球以外に活動拠点があるが琉球に妻子を持ち長期滞在する大隈の役人、さらに王府の士族として召し抱えられて琉球社会にとけこんでいった人物など、多くの事例が確認されるとのことです。
こうした琉球への日本人移住の背景として、十五世紀には中国・東南アジア産物の入手のために来航していたのが、十六世紀以降は、日本から東南アジアへ向かう民間商人の中継地として利用されたことにあります。民間レベルでアジアの交易が活発に行われ、十六~十七世紀には、日本人町が東南アジアの各地に造られており、那覇の「日本人町」も海域アジア世界における「日本人町」の一角として位置していたのです。
さらには、交易に関わる日本人を通じ、古琉球社会に日本文化が流入し、影響を受けていました。例えば古琉球辞令書や碑文などには、中世日本の候文や平仮名が確認できます。しかし当時の日本は和洋漢文が専ら公文書で、平仮名は私文書でしか使用されませんでした。つまり、琉球の公文書に見られる平仮名文は、日本から流入した文化を活用しながらも独自の文書形式をつくりあげた結果であり、日本の「古層文化」がタイムカプセルのように眠っていたわけではないわけです。
さて、那覇の「日本人町」の存在は新発見の事実ではなく、戦前の研究者によってすでに指摘されていました。それではなぜ、「日本人町」は一般に知られず、忘れられてしまったのでしょうか。それは戦前までの研究において、「単一民族・一国史観」という考え方からその存在を評価されていなかったことにあります。また、日本との文化的親近感や雑居していた状況から、あまり目立たなかったという点もあるようです。上里先生は、「交易国家である琉球では、出自・ルーツが重要なのではなく、南西諸島に住む人々が「琉球」という主体を自らつくりあげたことこそに歴史的意義があり、従来の一国史観の再来ではない、「ヤマト」を含めた新たな琉球史像の構築が必要である」と講演のまとめとして強調しました。
今回の講演は、古琉球(中世)の時代における、国境を越えたアジア世界に位置する琉球や日本の存在を、発想の転換によって改めて確認できるものでした。上里先生は実は「目からウロコの琉球・沖縄史」で有名な「とらきち」さんなのですが、実は私の大学の後輩だったりします・・・。優秀だよな~。
2007年05月15日
首里城公園文化講演会のお知らせ
会員以外でも参加できますので、興味のある人はどうぞ。
ちなみに私は総合司会・・・
と き/平成19年6月2日(土)午後2時半頃から
ところ/沖縄都ホテル (地階 虹雲の間)
那覇市松川40番地 TEL 098-887-1111
(定期総会後に2時間程度です。)
テーマ/500年前の沖縄移住ブーム
-那覇にあった「日本人町」―
講 師/上里(うえざと)隆史(たかし)氏(法政大学沖縄文化研究所国内研究員)
内容
アジアとの貿易によって繁栄していた古琉球の時代、北のヤマト(日本)からの「沖縄移住ブーム」が存在していた。渡来者は商人をはじめとして禅僧や医師、文化人など海域世界で活動する多様な人々であった。彼らは港町の那覇に居留地をつくり、琉球の地元民と雑居するかたちで生活していた。那覇にはチャイナタウンの「久米村」以外に「日本人町」が存在していたのである。那覇の「日本人町」の実態とは?琉球王府は彼らとどのような関係を築き、古琉球の社会にどのような影響を与えていたのか?実は彼らが移住した背景には、16世紀後半のアジア海域世界で起こっていた銀をめぐる空前の「交易ブーム」があった。アジアのダイナミックな世界から琉球とヤマト(日本)との関係を展望し、従来の「一国史観」を脱却した新たな古琉球史像を描き出す、興味深いお話です。
上里氏プロフィール(友の会告知より抜粋)
1976年生まれ。
琉球大学法文学部(琉球史専攻)卒業。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、法政大学沖縄文化研究所国内研究員。
著書に
『目からウロコの琉球・沖縄史』(ボーダーインク、2007)
研究・論文に
「琉球の火器について」(『沖縄文化』91号、2000)、「古琉球の軍隊とその歴史的展開」(『琉球アジア社会文化研究』5号、2002)、「古琉球・那覇の「倭人」居留地と環シナ海世界」(『史学雑誌』114編7号、2005)
問い合わせ先
首里城公園友の会(平成19年度会員も随時受け付けてます~

〒903-0815
沖縄県那覇市首里金城町1-2
Tel098-886-2020/fax098-886-2919
2007年03月27日
友の会講演会
早速の怠慢、気をつけます。
さて、さった3月24日(土)、沖縄都ホテルにて首里城公園友の会文化講演会が行われました。
講師は、今帰仁村教育委員会の宮城弘樹さん。
今帰仁城跡とその周辺の発掘状況を、スライドを用いて非常に分かりやすく説明していただきました。
今帰仁城跡は、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつ。指定名称は「なきじんじょうあと」ですが、宮城さんは地元での愛称から「今帰仁グスク」と呼ばれているのが印象的でした。
今帰仁城跡には、10の郭があるそうですが、そのうち3箇所の発掘が終了したそうです。また世界遺産登録に伴い、史跡範囲に含まれていた駐車場を移動し、そのエリアを発掘したところ、旧集落の遺構を確認できたそうです。
今帰仁グスクとその周辺集落は、1609年以降の遺構がなく、グスクは廃城、集落は現在の今泊に移動しています。
グスク周辺集落の本格的な発掘は、今帰仁が初だとか。今後は、現集落との比較などもできそうで、講演を聴いている間も、今帰仁へ行きたくなってしまいました。
講演会は、友の会会員以外の方も多数参加して、総勢150人くらいでしょうか。
若い方も結構きていて、グスクや考古学への関心の高さが伺えました。
宮城さんのように、しっかり勉強しなきゃと思った次第でございます。
時間ができたら、グスク周辺と今泊集落の散策もいいですね~。
2007年03月23日
首里城公園友の会文化講座
会員以外の方でも、ご自由にご参加くださいませ。
首里城公園友の会文化講座テーマ:発掘されたグスクと集落~北山の拠城<今帰仁グスク>とその周辺遺跡の調査成果から~
講師:宮城弘樹氏(今帰仁村教育委員会文化財専門員)
日時:3月24日(土)14:00~16:00
場所:沖縄都ホテル





日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!