› liangかわらばん › 2008年03月2008年03月23日
カヌチ棒の寄託
3月23日(日)、沖縄県立博物館にて、当蔵自治会から博物館へカヌチ棒の寄託が行われました。
このカヌチ棒は、昨年10月に行われた綾門大綱復興イベントにて、大綱を結ぶために使用されたものです。
かつての行事を復興に寄与した貴重な資料として、今後は博物館で保管されます。
博物館入り口にて、牧野博物館長から宮城当蔵自治会長に預かり証が渡され、3本の大小のカヌチ棒は、てぃーむち会の手によって博物館の収蔵庫(一時保管室)へあずけられました。
なにはともあれ、綾門大綱復興実行委員会、当蔵自治会、さらにてぃーむち会の皆様、これまで本当にお疲れ様でした
寄託されたカヌチ棒
宮城当蔵自治会長と牧野館長ががっちり握手

カヌチ棒と最後の記念撮影

本カヌチは4人かかりで運ばれました。重そう~

ちなみに、沖縄テレビの夕方のニュースに先ほど出てましたよ~
2008年03月23日
首里城周辺めぐり
3月22日(土)、首里城公園友の会主催の「首里城周辺めぐり」が行われました。
今回の講師は、琉球大学教授の高良倉吉先生。会員さんと25名と共に、約2時間強のコースを歩いてきました。
首里城 → 中城御殿跡・大美御殿跡 → さくの川(カー) → 本覚山 → 宝口樋川・紙漉所跡 →太平橋跡 というコースで、首里の坂道を登ったり、下ったりという工程でしたが、なかなか個人では行かない場所もあったりと新鮮な周辺めぐりでした。
今回の目玉は、本覚山(金武御殿の墓)でした。尚豊王の母親のために立てられたとされる墓であり、横には「本覚山碑文」という石碑も現存しています
その他、さくの川では芭蕉紙、宝口樋川では百田紙が漉かれていたそうです。人々の生活だけでなく、王国時代の政治・外交に必要な紙の製作にも、首里の井泉は重要な役割を果たしていたのですね。

さくの川(カー)です。今でもコンコンと水が湧いています。
本覚山では、しっかり腰をおろして、じっくりと碑文の内容についてのレクチャーを受けました。
後方左側に見えるのが、本覚山碑文です。
宝口樋川にて。
首里城公園友の会の平成19年度事業も、残るは来週の伊是名巡見のみ。
さあ、楽しく安全に成功させねばと、意気込み満点です。
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首里城公園友の会、平成20年度会員様随時受け付中です
問い合わせ先
首里城公園友の会事務局
(首里城公園管理センター内)
℡098-886-2020
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2008年03月17日
伊是名に行きます
しかも・・・講師で・・・。
この企画は、年度の始めから決まっていたのですが、日程を決めずにいたためズルズル年度末になってしまいました。
伊是名島は、尚円王(金丸)の生誕の島として知られる歴史の島です。
仕事でちょくちょく通っていたのですが、そういえば改めて史跡巡見と行っても、全島巡ったのって数える程しかない

これからやっつけで思い出しながらお勉強です。
伊是名島には、四殿内(ユトゥヌチ)と呼ばれる尚円の姉、叔父、叔母の家系があり、尚円の親と一族を祀った墓が島にあり、伊是名玉御殿といいます。また伊是名玉御殿で行われる公事清明祭のために、首里王府から下賜された資料類(銘苅家資料)が、現在、伊是名村ふれあい民俗館にあります。
仕事柄、伊是名玉御殿と関連する資料群について調査する機会があったので、今回のテーマはきっとソレ

約25名の会員さんとの一泊旅行ですが、あまりきばらずに楽しんできたいと思います
。その前に仕事終わらせて勉強しなきゃね・・・

写真は国指定文化財の銘苅家住宅です
2008年03月16日
尚順男爵について

尚順氏は、琉球最後の国王・尚泰の四男として生まれ、松山王子・松山御殿を称した方です。明治以降は事業家であり、貴族院議員でもありました。様々な事業を経営する他、博覧強記の教養人、趣味人として、特に書については沖縄の名筆とされた人物です。沖縄戦にて亡くなりました(1873~1945年)。
その住まいにあたる松山御殿は首里桃原町にあり、大正13年には桃原農園を設立し、沖縄の温暖な気候を活用した熱帯果樹や香辛料、寛容植物の栽培が行われたそうです。松山御殿は沖縄戦で消失。戦後は桃原農園(首里トロピカルガーデン)として一般に開園されていました(現在、敷地の一部は「ラ・フォンテ」というレストラン)。
尚順氏は非常に美食家だったらしく、その遺稿集『松山王子尚順遺稿集』にも、食について述べられています。
「沖縄に住む」では、その松山御殿の食卓を再現して紹介しています。
写真を見てるだけでも・・・おいしそ~です

先日、県立博物館の新収蔵品展に行くと、収蔵品の中にかつて松山御殿にあった資料も展示されていました。
その中に、尚順氏と真子夫人の肖像画もありました。写真をもとに描かれた肖像画で、もとの写真も本などで拝見したことはありましたが、キリリとした面持ちの尚順氏の姿は展示資料の中でも印象的でした

※一番の目当ては、「孔子及び四聖配像」だったのですが・・・
http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/topics/detail.jsp?id=42
松山御殿の敷地には、「サスカサ樋川」と呼ばれる立派な井泉が残っており、現在でも信仰の対象とされています。
松山御殿や尚順男爵については、いつか「首里かわらばん」でも取りあげられたらいいな~

参考文献:『松山御殿物語』刊行会編 『松山御殿物語 明治・大正・昭和の松山御殿の記録』ボーダインク社
2008年03月15日
首里かわらばん雑録
本当に緊張していたのが伝わったようで、ずいぶんネタにされました。
告知の中で紹介した「てぃーむち会」の方には、早速、慰労の酒宴を設けていただきました。
おそらく集まるきっかけが欲しかっただけかも・・・とは思いますが、ありがとうございました。
さて、首里かわらばんは第1号から試行錯誤をくりかえして製作しているので、デザイン等も毎号すこしずつ異なります。
その中で、第2号から変わってないのがタイトルデザインです。
こちらは第2号から参加していただいた、石原左内さんのデザイン。
当時は首里金城町にお住まいになり、いつも物静かな語り口調で、私が伝えたいテーマについて、デザイン面からアドバイスをくださっていました。
現在はお仕事の都合もあり東京にいらっしゃいますが、昨日、このブログを見つけてくださり、久々にメールをいただきました。
その件を早速、夜に行われた首里かわらばんの編集会議で報告したところ、改めてそのタイトルを皆で見入ってしまいました。
「綾門大綱のミーチカヌチ(三つの貫)の話をしたら、石原さんが早速イメージイラストを描いてきてくれたんだよなあ。あれがあったから皆のイメージづくりになった」と会議メンバーの石崎さんがおっしゃっていました。
・・・そういえばそうでした。
石原さんって短い期間だったけれども、首里の活動に大きな足跡を残したんですね。
なんだか少しうれしくなって、ちょっとご紹介させていただきました。
石原さん、早速ネタにしてすいません。
また沖縄に来ることになったら、ぜひ首里で会いましょうね。
13日、14日はかわらばんデーといった感じでした。
9号も完成形に近づきつつあり、発行が楽しみなところです。

2008年03月13日
タイフーンFMに出演してしまいました
いつの間にか3月。年度末のあわただしさの中、日々すごしています。
首里かわらばんも、第9号の発行に向けて着々と準備が進んでいます。
そんな中、タイフーンFMさんの「ヒトワク」という番組で、「首里かわらばん」の宣伝をさせていただきました
。15分程度の時間でしたが、朝から緊張しすぎ、何を話すか考えすぎ。
仕事も手につかず、当然仕事を抜け出して、首里まで意気込んで行って参りました

結果、メモ書きで作ったペーパーを一行も見ることなくしゃべり倒してしまいました。
一部しどろもどろしてますが、必死さを早口でカバーしているのが、聞き直すとよくわかります。
ナビゲーターは諸見里杉子さん
。この方も、首里かわらばんを通じて知り合うことができた方ですが、声がきれいで(当然か・・)、とても素敵なお話をされる方です。
久々にお会いできてうれしかった~。
もし良ければ、聞いてください。
ちなみに大事なことを言い忘れていました。
この「首里かわらばん」の編集は、「首里かわらばん編集会議」であるということ。
お話の中で、発行が総合事務局と首里城という体制から、地域のNPO首里まちづくり研究会に移行したことは述べましたが、編集の体制として、行政と首里城、さらに地域の有志の方々による会議の場を設けて、テーマや内容を決めてこれまで発行されてきました。
首里まち研に移ってからは、会議のメンバーから行政関係の方はなくなっていますが、基本的にはそのスタンスは変わっていません。当初から一緒に関わってきた人々の支えあっての「かわらばん」、その事を話すのを忘れてました。
ここでちょっと補足しておきます。
首里かわらばんのバックナンバーは、ネットでも見ることができます。
発行済みの8号までは既に掲載済みです。
こちらのサイトからどうぞ↓
e-首里.com
http://www.e-sui.com/kawara/
現在作成中の第9号は、3月末に発行予定です。





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