› liangかわらばん › 首里あれこれ2008年07月01日
首里城からみたまち
ある晴れた日、首里城から首里や那覇のまちなみチェックをしてみました。
「西(イリ)のアザナ」と呼ばれる物見台からの景色。
こちらは首里城一の眺望ポイントと言われるところで、那覇のまちなみや背後に海が見えます。
そして、慶良間諸島も見えますね~

同じく、西のアザナから、視界を少し北側に向けると、城西小学校と龍潭通りの家がみえます。
龍潭通りは、那覇市の景観形成地域として、歴史的なまち並みを創出するため、県道整備と共に沿線沿いの建て替え工事の真っ最中。撮影した場所は池端町側の家です。
赤瓦が建物にのってる小さな建物群がなんだかカワイイです~
首里城からは「こーやってみえるんですよ」という意味で、掲載しておきます。
分かる人しか、理解しづらい写真ですが・・・。

一部、わかりづらいかと思うので、見えているあたりの龍潭通り沿線からの写真も追加(見えているのはこのあたりかな)


「西(イリ)のアザナ」と呼ばれる物見台からの景色。
こちらは首里城一の眺望ポイントと言われるところで、那覇のまちなみや背後に海が見えます。
そして、慶良間諸島も見えますね~


同じく、西のアザナから、視界を少し北側に向けると、城西小学校と龍潭通りの家がみえます。
龍潭通りは、那覇市の景観形成地域として、歴史的なまち並みを創出するため、県道整備と共に沿線沿いの建て替え工事の真っ最中。撮影した場所は池端町側の家です。
赤瓦が建物にのってる小さな建物群がなんだかカワイイです~

首里城からは「こーやってみえるんですよ」という意味で、掲載しておきます。
分かる人しか、理解しづらい写真ですが・・・。

一部、わかりづらいかと思うので、見えているあたりの龍潭通り沿線からの写真も追加(見えているのはこのあたりかな)
2008年05月16日
祝!山城まんじゅう
首里名物の山城まんじゅうが、このたび復活しました。
お店に入ると、サンニン(月桃)の香りがふんわりただよって、とてもうれしくなりました。
場所は、元のお店のとなり、cafe「SUI」と同じ建物の奥にあります。

お店に入ると、サンニン(月桃)の香りがふんわりただよって、とてもうれしくなりました。
場所は、元のお店のとなり、cafe「SUI」と同じ建物の奥にあります。

2008年03月16日
尚順男爵について
食の王国社が発行している「沖縄に住む」vol7に、”「琉球薬膳」王家の食養生”と題した、尚順男爵とその料理に関する特集が取りあげられています
尚順氏は、琉球最後の国王・尚泰の四男として生まれ、松山王子・松山御殿を称した方です。明治以降は事業家であり、貴族院議員でもありました。様々な事業を経営する他、博覧強記の教養人、趣味人として、特に書については沖縄の名筆とされた人物です。沖縄戦にて亡くなりました(1873~1945年)。
その住まいにあたる松山御殿は首里桃原町にあり、大正13年には桃原農園を設立し、沖縄の温暖な気候を活用した熱帯果樹や香辛料、寛容植物の栽培が行われたそうです。松山御殿は沖縄戦で消失。戦後は桃原農園(首里トロピカルガーデン)として一般に開園されていました(現在、敷地の一部は「ラ・フォンテ」というレストラン)。
尚順氏は非常に美食家だったらしく、その遺稿集『松山王子尚順遺稿集』にも、食について述べられています。
「沖縄に住む」では、その松山御殿の食卓を再現して紹介しています。
写真を見てるだけでも・・・おいしそ~です
先日、県立博物館の新収蔵品展に行くと、収蔵品の中にかつて松山御殿にあった資料も展示されていました。
その中に、尚順氏と真子夫人の肖像画もありました。写真をもとに描かれた肖像画で、もとの写真も本などで拝見したことはありましたが、キリリとした面持ちの尚順氏の姿は展示資料の中でも印象的でした
※一番の目当ては、「孔子及び四聖配像」だったのですが・・・
http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/topics/detail.jsp?id=42
松山御殿の敷地には、「サスカサ樋川」と呼ばれる立派な井泉が残っており、現在でも信仰の対象とされています。
松山御殿や尚順男爵については、いつか「首里かわらばん」でも取りあげられたらいいな~
参考文献:『松山御殿物語』刊行会編 『松山御殿物語 明治・大正・昭和の松山御殿の記録』ボーダインク社

尚順氏は、琉球最後の国王・尚泰の四男として生まれ、松山王子・松山御殿を称した方です。明治以降は事業家であり、貴族院議員でもありました。様々な事業を経営する他、博覧強記の教養人、趣味人として、特に書については沖縄の名筆とされた人物です。沖縄戦にて亡くなりました(1873~1945年)。
その住まいにあたる松山御殿は首里桃原町にあり、大正13年には桃原農園を設立し、沖縄の温暖な気候を活用した熱帯果樹や香辛料、寛容植物の栽培が行われたそうです。松山御殿は沖縄戦で消失。戦後は桃原農園(首里トロピカルガーデン)として一般に開園されていました(現在、敷地の一部は「ラ・フォンテ」というレストラン)。
尚順氏は非常に美食家だったらしく、その遺稿集『松山王子尚順遺稿集』にも、食について述べられています。
「沖縄に住む」では、その松山御殿の食卓を再現して紹介しています。
写真を見てるだけでも・・・おいしそ~です

先日、県立博物館の新収蔵品展に行くと、収蔵品の中にかつて松山御殿にあった資料も展示されていました。
その中に、尚順氏と真子夫人の肖像画もありました。写真をもとに描かれた肖像画で、もとの写真も本などで拝見したことはありましたが、キリリとした面持ちの尚順氏の姿は展示資料の中でも印象的でした

※一番の目当ては、「孔子及び四聖配像」だったのですが・・・
http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/topics/detail.jsp?id=42
松山御殿の敷地には、「サスカサ樋川」と呼ばれる立派な井泉が残っており、現在でも信仰の対象とされています。
松山御殿や尚順男爵については、いつか「首里かわらばん」でも取りあげられたらいいな~

参考文献:『松山御殿物語』刊行会編 『松山御殿物語 明治・大正・昭和の松山御殿の記録』ボーダインク社
2007年12月15日
首里かわらばん再開にあたり・・・
首里に関わる地域情報誌「首里かわらばん」がこのたび、NPO首里まちづくり研究会さんの編集・発行という形で再開される運びとなりました
「首里かわらばん」は、首里城と首里地域との連携やまちづくりの支援、歴史・文化を中心とした地域資源の発掘、見直しを主な目的に、沖縄総合事務局と首里城公園にて発行されていたものです。
今後は、地域の人々の手によって発行されることになります。
1号から6号まで、取材・編集などの担当をしていた手前、コーディネーターとしてお手伝いをすることになりました。
コーディネーターと偉そうなことを言ってますが、今までは取材・記事書きを含めてほとんど一人で行ってきた手前、今後は多くの地域ライターや取材協力者が生まれ、紙面という媒体から様々な活動に展開していければな~という私のささやかな気持ちもあります。
この「liangかわらばん」も、「首里かわらばん」で発散できない私の気持ちを表現しようというきっかけで始めたのですが、中々初志貫徹できないのが正直なところです。
先日、かわらばんで取材させていただいた首里人の文化研究会の方から、冊子とお手紙をいただきました。
お手紙には、「これ以上は望めない“賞賛の文章”は私を励まし、元気を与えてくださいました」とのお褒めのお言葉と、冊子には、「この冊子を次の世代の若い人たちへ贈ります」との寄せ書き。
素敵な方々にお会いできて良かったな~という気持ちと共に、次世代の一人として色々な想いが託された気がしました。
おそらく、編集やライターさんはこうした機会は何度もあるのかもしれませんが、私にとってはとても有難いメッセージだったと思います。
「首里かわらばん」に関わり、2年あまりの間に多くの方々と知り合う機会がありました。
私にとっては非常に大きな財産になりつつあります。
さて、首里かわらばん第8号がいよいよ始まります。
気を引き締めながらも、楽しみながら活動に参加できればと思っています。

「首里かわらばん」は、首里城と首里地域との連携やまちづくりの支援、歴史・文化を中心とした地域資源の発掘、見直しを主な目的に、沖縄総合事務局と首里城公園にて発行されていたものです。
今後は、地域の人々の手によって発行されることになります。
1号から6号まで、取材・編集などの担当をしていた手前、コーディネーターとしてお手伝いをすることになりました。
コーディネーターと偉そうなことを言ってますが、今までは取材・記事書きを含めてほとんど一人で行ってきた手前、今後は多くの地域ライターや取材協力者が生まれ、紙面という媒体から様々な活動に展開していければな~という私のささやかな気持ちもあります。
この「liangかわらばん」も、「首里かわらばん」で発散できない私の気持ちを表現しようというきっかけで始めたのですが、中々初志貫徹できないのが正直なところです。
先日、かわらばんで取材させていただいた首里人の文化研究会の方から、冊子とお手紙をいただきました。
お手紙には、「これ以上は望めない“賞賛の文章”は私を励まし、元気を与えてくださいました」とのお褒めのお言葉と、冊子には、「この冊子を次の世代の若い人たちへ贈ります」との寄せ書き。
素敵な方々にお会いできて良かったな~という気持ちと共に、次世代の一人として色々な想いが託された気がしました。
おそらく、編集やライターさんはこうした機会は何度もあるのかもしれませんが、私にとってはとても有難いメッセージだったと思います。
「首里かわらばん」に関わり、2年あまりの間に多くの方々と知り合う機会がありました。
私にとっては非常に大きな財産になりつつあります。
さて、首里かわらばん第8号がいよいよ始まります。
気を引き締めながらも、楽しみながら活動に参加できればと思っています。
2007年11月14日
追っかけイベント その3
11月3日文化の日。
首里のまちでは、毎年恒例のお祭りの日でした。いつもと異なるところはこれまでは「首里文化祭」だったのが「琉球王朝祭り」へ名称を変更したことでしょうか。
今年はフリーだったので、当蔵町の旗頭パレードを最初からずっと追っかけができました。
当蔵町は、月と菊の2つの旗頭を持ちます。
そしてここの醍醐味は、パレード中でこの2旗が掛け合いをすること。
ぶつかりそうでぶつからない。倒れそうでも倒れない(ちょっと怖かったけど・・・)
レンズ越しで見るのがもったいないくらいきれいでした。




首里のまちでは、毎年恒例のお祭りの日でした。いつもと異なるところはこれまでは「首里文化祭」だったのが「琉球王朝祭り」へ名称を変更したことでしょうか。
今年はフリーだったので、当蔵町の旗頭パレードを最初からずっと追っかけができました。
当蔵町は、月と菊の2つの旗頭を持ちます。
そしてここの醍醐味は、パレード中でこの2旗が掛け合いをすること。
ぶつかりそうでぶつからない。倒れそうでも倒れない(ちょっと怖かったけど・・・)
レンズ越しで見るのがもったいないくらいきれいでした。




2007年11月14日
追っかけ大騒動 その1
なかなか投稿せず、気が付けば首里のイベントの大方が終了してしまいました。
母にいい加減投稿しなさいと言われ、本当は少しかしこまって記事を書くつもりでしたが、なかなか筆(?)も進まないので、私の視点、独断で楽しくまとめます。
名づけて、りゃんの追っかけ首里イベント騒動。
まず10月27日、首里城では、中国皇帝の使者を迎える冊封の行列と儀式の再現イベントが行われました。
この再現の企画に多少関連があったので、毎年拝見させていだたいてますが、当日は快晴で気持ちの良い日でした
。

冊封使一行です。このメインの正使・副使などの重要な役どころは、半数が中国からの留学生です。王国時代だけでなく、今もインターナショナルな首里城!

儀式の場面。国王が巻物をもらったシーンです。
北殿側からの撮影はベストポジションなのですが、日差しを直接あびてしまい、なかなか大変でした。
冊封使行列、儀式は約1時間10分程度で終了。今年は間の時間をおかないで、連続シーンの開催だったので出演者の方々はでずっぱりで大変だったでしょうね。
おつかれさまです・・・
母にいい加減投稿しなさいと言われ、本当は少しかしこまって記事を書くつもりでしたが、なかなか筆(?)も進まないので、私の視点、独断で楽しくまとめます。
名づけて、りゃんの追っかけ首里イベント騒動。
まず10月27日、首里城では、中国皇帝の使者を迎える冊封の行列と儀式の再現イベントが行われました。
この再現の企画に多少関連があったので、毎年拝見させていだたいてますが、当日は快晴で気持ちの良い日でした
。冊封使一行です。このメインの正使・副使などの重要な役どころは、半数が中国からの留学生です。王国時代だけでなく、今もインターナショナルな首里城!
儀式の場面。国王が巻物をもらったシーンです。
北殿側からの撮影はベストポジションなのですが、日差しを直接あびてしまい、なかなか大変でした。
冊封使行列、儀式は約1時間10分程度で終了。今年は間の時間をおかないで、連続シーンの開催だったので出演者の方々はでずっぱりで大変だったでしょうね。
おつかれさまです・・・

2007年08月18日
燃ゆる首里城
本日、那覇市青少年舞台プログラム成果発表である、現代版組踊「燃ゆる首里城~龍の球伝説と未来からの使者」を見てきました。
那覇市芸術監督である平田大一さんの演出により、那覇市内の小中高校生が出演。綾門大綱引実行委員会も特別出演してました。
内容は、尚真王の双子の妹「月丸」の生まれ変わりである少女「内間空」が、天人(宇宙人)に狙われる琉球を救うため、1479年へタイムスリップするもの。芝居だけでなく、ダンスあり、バンドありの豪華パフォーマンスで、尚真王にまつわる様々な歴史エッセンスが、子供たちにもわかりやすく、面白くアレンジされている気がしました。
何よりも、子供たちの生き生きした演技に圧倒され、ひとつの場面が終わる度に、思わず拍手、拍手の連続でした。
綾門大綱引実行委員会も、物語のクライマックスに城西小の旗頭と登場。子供たちと一緒に大きな綱を曳いてましたよ。実行委員会の皆さま、お疲れ様でした。
「燃ゆる首里城」は、3年前から平田さんと子供たちとの間で、首里城を舞台にした物語を上演する約束が結実したものだそうです。
赤々と燃えるのは、首里の御城(ウグシク)ではなく、子供たちの「情熱」の炎なんだとか。
これを機会に、実際の首里城についても、子供たちが親しみをもてたらな~と、首里城ファンとしては切実に感じたところです。
那覇市芸術監督である平田大一さんの演出により、那覇市内の小中高校生が出演。綾門大綱引実行委員会も特別出演してました。
内容は、尚真王の双子の妹「月丸」の生まれ変わりである少女「内間空」が、天人(宇宙人)に狙われる琉球を救うため、1479年へタイムスリップするもの。芝居だけでなく、ダンスあり、バンドありの豪華パフォーマンスで、尚真王にまつわる様々な歴史エッセンスが、子供たちにもわかりやすく、面白くアレンジされている気がしました。
何よりも、子供たちの生き生きした演技に圧倒され、ひとつの場面が終わる度に、思わず拍手、拍手の連続でした。
綾門大綱引実行委員会も、物語のクライマックスに城西小の旗頭と登場。子供たちと一緒に大きな綱を曳いてましたよ。実行委員会の皆さま、お疲れ様でした。
「燃ゆる首里城」は、3年前から平田さんと子供たちとの間で、首里城を舞台にした物語を上演する約束が結実したものだそうです。
赤々と燃えるのは、首里の御城(ウグシク)ではなく、子供たちの「情熱」の炎なんだとか。
これを機会に、実際の首里城についても、子供たちが親しみをもてたらな~と、首里城ファンとしては切実に感じたところです。





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