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2008年08月07日

弟びいき


うちの家族は、カメラ家族。父はプロの報道カメラマン。弟はフリーでがんばる新人カメラマン
私はというと・・・知識もテクニックもなく、単純に文化財や祭などを記録するための撮影に終始してますが・・・。

この度、フリーでカメラマンをしているうちの弟君が、ホームページを開設しました。
いろんな作品も掲載されていますので、どうぞご覧下さい。
そして・・・是非是非、撮影が必要な方は彼を使ってやってくださいね~。

沖縄カメラマン オオシロヨウヘイ
http://yohei-ohshiro.com/index.html

「大切な今の瞬間、一瞬を大切に残せる写真を撮影する。」
「写真1枚で誰かが幸せな気分になれるように…。」

この2つをモットーに魂をこめて撮影・・・するのだそうです。

  
タグ :写真家族

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2008年08月07日

伊是名まったり・・・だったけど

先週、仕事の調整により急遽、伊是名島へ。

人に会って調整するだけだったので、いつもより少しだけ時間がありました。

伊是名ビーチでのんびり・・・



そして夕方には1時間あまりお散歩

畑の向こう側に伊平屋島が見えました






仕事もまあまあうまくいき、ルンルンで帰ったのですが、その後今日までの一週間怒濤の忙しさでした。
時間的な忙しさというよりも、精神的に大変でした。
ようやく一息ついて、のんびり自分のとった写真を眺めていたところです。

  

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2008年06月29日

ダリと沖縄

今日は、「情熱と戦争の狭間で-無言館・沖縄・画家たちの表現」の最終日ということで、
沖縄県立博物館・美術館にいってきました。

展示会では、沖縄タイムス紙上でもとりあげられていましたが、戦没画学生の作品を収集する長野県の「無言館」の収蔵品と、沖縄戦を生き抜いた画家たちの戦後の作品が展示されていました。
絵画はほとんど見る機会はないのですが、今回は作品そのものだけでなく、その人々と家族の思いを含めて遺品や写真を含めて、ひとつの時代を生きてきた「証」のようなものが伝わった気がします。

ここでタイトルとの本題
話は聞いていたのですが、博物館でチラシを見つけたので、面白そうなのでご紹介。

海洋博が残した「沖縄の宝「SUN GOD RISING IN OKINAWA」 サルバドール・ダリと沖縄」企画展が海洋博公園他、施設で開催されるようです。

1975年に開催された、沖縄国際海洋博覧会。その際、展示されたダリの作品が、33年の歳月を経て里帰りするようです。
海洋博公園だと無料のようです(これは施設見学料金ってことかしら?)。

2008年7月1日~31日 海洋博公園内 海洋文化館2階:無料
2008年8月3日~8月31日 沖縄こどもの国ワンダーミュージアム:有料 一般1000円 学生500円
2008年9月10日~9月28日 浦添市美術館 :有料 一般1000円 学生500円

主催:沖縄ダリプロジェクト実行委員会(沖縄観光の未来を考える会事務局内)
電話 863-1767



  
タグ :行事博物館

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2008年06月29日

家の前に居酒屋

うちのアパートの前には、小さな天ぷら屋さん(パーラー)があるのですが、そちらが居酒屋をオープンさせました。
看板がかわいい・・・おすまし
アピールしてますねぶーん

いつか行ってみたいですが、家の前すぎてまだ挑戦できない状況です。

夜に携帯で撮影したのでちょっと微妙な写りですが・・・。



  
タグ :お店ご近所

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2008年06月10日

伊是名島とデーモン閣下

てぃーだブログHOMEのトップに気になるリンク先があり、思わずクリックしてしまいました晴れ

デーモン小暮の琉球・大和邦楽サミット@伊是名が6月28日にあるようです。
なんと、デーモン閣下と沖縄ロックの大御所、ジョージ紫氏が競演なのだそうです がーん

伊是名島とデーモン閣下・・・面白そう・・・汗
でも行けない・・・ ぐすん

どなたか行く人がいたら、後日、感想を教えてください

http://www1.ocn.ne.jp/~izena88/kogure/kogure1.html
  

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2008年06月09日

とにかく歩く

土曜・日曜は、日頃の運動不足解消を含め、ちょっと歩いてみました。

土曜日は、首里桃原町に用事があったので、自宅(真嘉比)から山川の斜面を上って目的地へ。
帰りは、車で拾ってもらう約束だったので、車が来るまでひたすら幹線道を歩きましたよ。
その間、約1時間ちょっと。
首里は坂道が多いので歩くのは少ししんどいかと思いましたが、思った以上に距離を稼げた気がしましたパンチ!

そして日曜は、国際通りのトランジットマイルへ。
国際通りのこの仕組みは、平成19年のはじめスタートしているようですが、実ははじめて行って参りました。
当初に比べたら、人は減っているようですが、拠点拠点で、オープンカフェがあったり、子供達が道路で遊んだりと面白そうでした。



オープンカフェに座りたい誘惑にかられながら、最終的には、那覇市歴史博物館(パレット久茂地)へ。
博物館では、常設展示の他、企画展として「女性・子どもたちの 沖縄戦」を開催しており、写真パネルや資料による展示が行われていました。
この那覇市歴史博物館には、国宝に指定された「琉球国王尚家関係資料」をはじめ、那覇をテーマとした様々な展示が行われています。
展示室はこじんまりしているのですが、資料は尚家資料以外も結構いいものが・・・。
展示替えにあわせて気軽に見に行くには、いい施設だと思います。おすまし

前回、国際通りを徒歩散策した時は、壺屋焼物博物館に足を運んだのですが、ブラッと歩いた先に、博物館があるっていうのはなかなかいいもんです。

さて帰りは、途中寄り道をして、おいしいビールと夕飯をいただいてから、再び歩いて帰りました。オリオンビール缶
国際通りから真嘉比・新都心方面への徒歩は、高低差があるので安里あたりから結構しんどいんです・・・がーん
ビールの影響もあってか、少しヘロヘロ気味でした。

次回は、新都心一周+県立博物館コース、または浦添コース(美術館)というのもいいかもね。
半分は、涼みに・・という目的なのかもしれませんピース





  

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2008年05月29日

聞得大君御殿を救った女官

最近、自分のブログ管理すらままならない状況です。
いかんな~。

首里城公園友の会の会報に掲載した、記事を転載します。

琉球歴史人物館
仲程大阿母志良礼~聞得大君御殿を救った女官~


 首里城や周辺の御殿には、政治・行政を担当する男性役人の他、国王や王族の世話や祭事の職務を担当する女官がいました。『女官御双紙』によると、首里城内の女官は大勢頭部を最高位に、勢頭部、あむしられ(阿母志良礼・あんしたり)、あねべ、あがまといった序列で組織化されていたことが分かります。男性役人に比べ、女官や神女に関する職務や人物像については家譜にも記録されておらず、なかなか実態が分からない状況ですが、今回は『球陽』に記録された女官・仲程大阿母志良礼(おおあむしられ)について紹介します。
 仲程大阿母志良礼は、尚敬王代に王国の最高神女である聞得大君に仕えた女官です。当時の聞得大君は、尚敬王の母親にあたる前王尚益王妃坤宏で、屋敷は汀志良次村(汀良町)にあったようです。『球陽』の尚敬三十二年(一七四四)の記述を意訳すると次のように記されています。

聞得大君国母宮が火災にあう
国母宮(聞得大君御殿)が七月十九日夜、火災にあった。御殿の女官に仲程大阿母志良礼という者がおり、この火災にもあわてずに御殿の責任者たる大親に報告し、次に庭門を開いて国母(聞得大君)を避難させ、女官や官吏に警護にあたらせた。さらに蝋燭をとって再び建物内に入り、宝物の所在を役人衆に指示した上で、聞得大君の輿に従って首里城に入った。尚敬王と王妃は火災の鐘の音を聞き、国母を首里城へ出迎えた。この大阿母志良礼の機転によって、人間も宝物も火災を免れたことから、紬や糸錦などの褒美が与えられた。

 これによると、仲程大阿母志良礼は聞得大君御殿の火災に際し冷静沈着に対応し、大君や宝物を守るといった大活躍をしています。宝物の場所を役人に指示していたことから御殿の内部の状況に詳しい上級の女官だったのかもしれません。
湧上元雄氏によると、この仲程大阿母志良礼は久高島の外間ノロ殿内の元祖・仲程ノロとして伝えられているようです。久高島では、聞得大君御殿の火神(御火鉢の御前)に奉仕するアガマー(あがま)を勤めた女性が島に帰り、ノロ職を継ぐ例が複数あるらしく、久高島の祭祀が王宮儀礼風の趣を留めているのも、聞得大君御殿で勤めた女性たちの影響があるようです。
聞得大君御殿では「火鉢のあむしられ」と呼ばれる女官もしくは神女が、御火鉢の御前を祀っており、仲程大阿母志良礼はその職務にあたった女性だったと想定されます。聞得大君の火神を祀る女官が、大火から人々を守るという話は、まさに火神の加護があったのかもしれません。

参考文献:湧上元雄「イザイホー見聞録」『沖縄久高島のイザイホー』1993年砂子屋書房

  

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2008年04月05日

伊是名巡り その3

清明祭の季節がやってきました。
伊是名玉御殿でも、4月2日に行われたようです。

さて、伊是名玉御殿での清明祭がいつ頃から行われたのは不明ですが、現在行われているような形の「公事清明祭(クージヌシーミー)」の実施は1870年からです。
首里王府は、伊是名玉御殿においても首里の玉御殿(玉陵)と同じ格式を持つ清明祭を実施することとし、1870年に伊江王子を代表とする使節団を島に派遣し、一行は首里風のやり方を指導して、今後は指導通りに挙行できるようにしました。

まず、その実施するために必要な道具類を支給し、さらに、公事清明のやり方を細かく記したマニュアル(文書)を与え、以降は銘苅家を中心とした四殿内で祭祀を執り行うこととしたわけです。

これら道具とマニュアル本である古文書は、銘苅家に大事に伝えられており、現在は伊是名村ふれあい民俗館で保管・展示されています。
道具については、漆器を中心に陶器や金工もあり、現在でも年に1回の清明祭では使用されるという、いわゆる生きた文化財です。
古文書については、「玉御殿御初祭并清明御祭祀日記」、「玉御殿道具帳」などがあり、清明祭が挙行されるまでの日記、道具のリスト、祭祀を挙行するための道具の設置方法や料理のレシピといった資料があります。

道具とその使用方法が記された古文書が一式残っており、さらに祭祀が行われた伊是名玉御殿(場所)、それから現在行われている清明祭を含め、資料と場所と祭とが複合的に存在しているという点は沖縄では珍しい事例です。

ちなみに現在の公事清明祭は、戦後は四殿内の門中行事として行われていたものを、尚裕氏の来島をきっかけに、1974年から復活したものだそうです。
現在は伊是名玉御殿を管理している伊是名村が主催で行われています。

実は、公事清明祭はまだ生で見たことないのです・・・来年にでも見に行けるかな眠っzzz

今回の友の会巡見では、ふれあい民俗館で展示された、道具類を見学しました。
小さな資料館ですが、その資料の意味を知った上で鑑賞することで、全く違った印象で見えたのではないかと思いますチョキ


写真がないので、遠方からみた伊是名城跡です(ふもとには、伊是名玉御殿がみえます)




参考文献
・『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書-公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の品々』 伊是名村2007年
  

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2008年04月04日

伊是名巡り その2

伊是名島には、他の島々には見られない特徴があります。

金丸が首里で第二尚氏王統を樹立した後に、伊是名島に残った彼の姉・叔父・叔母の3人に対し、特別な役職が与えられました。
姉の真世仁金には「伊平屋の阿母加那志」という神女職、叔父の真三良には「銘苅大屋子」という特別職、叔母の真世仁金には「二かや田の阿母」という神女職がそれぞれ与えられ、代々世襲されることになります。
「二かや田の阿母」については、叔母の真世仁金が死去した後、二人の娘が同時に二かや田の阿母職を継いだために、その職は「南風」(姉)と「西」(妹)の二つに分かれた。それ以後、銘苅大屋子のみは男子が、それ以外の三家は女性が代々世襲する慣わしとなった。

この4つの家柄の総称を「四殿内」と呼びます。

四殿内は王家に縁がある家柄として、祭祀権などが与えられ、首里城にも訪れています。特に銘苅家については系図を持つことが許され、島で唯一の士族でもありました。

金丸の両親とその四殿内を葬った場所と呼ばれるのが、伊是名玉御殿です。

伊是名グスクの麓に北面して造営されており、破風形式の墓の壁面は漆喰で塗り固められています。
玉御殿の創建は尚円の子の尚真王の代(1477~1526年)だと伝えられています。
当初の墓は一軒の木造瓦葺きの建物であり、さらにその屋内に板葺きの建物が設置され、その中に唐石厨子二基を安置する構造でしたが、1688に修理され、現在の石造りの墓となりました。
墓室は二つあり、左側が東室、右側が西室になっています。

2005年、尚泰王の孫にあたる井伊文子氏の分骨式が伊是名玉御殿で行われ、その機会に墓室内の調査が行われました。
その結果、東室には中国産の輝緑岩(青石)で造られた二基の石厨子、西室には甕厨子が17基、屋形厨子が3基の合計20基の厨子が確認されており、さらに、西室の厨子からは、同治9年(1870)に東室から移されたことが記される銘書が数件確認されています。

ちなみに、同じく尚泰王の孫で尚家の第22代当主・尚裕氏の遺骨も伊是名玉御殿に埋葬されました。

何度も修理が行われ、変遷をとげてきた王家ゆかりの墓・伊是名玉御殿。
まだまだ多くのナゾがある不思議な空間なのです・・・。

たしか3日に、伊是名村主催で清明祭が行われたはず・・・
清明祭と四殿内については、その3で。




参考文献
・『首里城研究 特集伊是名玉御殿調査報告』No.9 首里城研究会編 2006年
・『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書-公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の品々』 伊是名村2007年






  

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2008年04月02日

伊是名巡り その1

先日の伊是名島巡見のおさらいおすまし

伊是名島といえば、第二尚氏王統の始祖・尚円王(金丸)の出身地として、島おこしのテーマともなっています。
金丸の出世伝承は主に次のとおりです。

金丸は伊是名島の諸見村の百姓として生まれ、20歳の時に父母を同時に失います。
ある飢饉の年、彼の田んぼだけ水量が豊富であったことから、村人に水泥棒の誤解を受け、24歳の時(1438年)に島を脱出し、沖縄本島へ向かいます。その後、各地を転々とした後、1441年首里に上り越来王子(後の尚泰久王)の家人となり、1453年尚泰久王が誕生することによって内間領主、御物城御鎖之側に出世します。
1460年の尚泰久王死去により、次の尚徳が王となると対立し、1468年(54歳)領地で隠遁生活を送ります。その翌年に尚徳王死去し、クーデターが起こり迎えられて王となり、第二尚氏王統が始まります。

伊是名島には、金丸の生家跡である「みほそ所」と産湯を使ったとされる「潮平御川」、さらに水の涸れない伝承のある「逆田」が史跡として残されていますニコニコ

「逆田」は、現在でも水の涸れない場所として伊是名の人々に大切にされています。
現在は伊是名村教育委員会が管理し、地域の子供たちの体験学習の場として利用されているそうです。



また、字諸見の「みほそ所」「潮平御川」一帯は尚円王御庭公園として整備されていました。

公園の中央には、島にいた若き頃の金丸像がアップ

当時の金丸の姿はわかりませんが、島を出る百姓姿の金丸が櫂(かい)を持ち、行き先の国頭村の宜名真を指さす姿を表現しています。この製作には、伊是名島出身の高良倉吉先生と名嘉睦稔さんがたずさわったそうです。

なんとなーく、お二人に面影が似ているような気がするのは気のせいでしょうかびっくり!




そして、金丸像の姿は伊是名島ではすっかり定着したようです。
子供たちの劇でも、わざわざポーズをとらせていましたニコニコ



私も学生時代に、この金丸像の前で同じ格好で記念写真をとった記憶があります。
すっかり金丸のイメージですね♪赤

  

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2008年03月17日

伊是名に行きます

首里城公園友の会の離島巡見で、今月末に伊是名島に行くことになりました。
しかも・・・講師で・・・。

この企画は、年度の始めから決まっていたのですが、日程を決めずにいたためズルズル年度末になってしまいました。
伊是名島は、尚円王(金丸)の生誕の島として知られる歴史の島です。

仕事でちょくちょく通っていたのですが、そういえば改めて史跡巡見と行っても、全島巡ったのって数える程しかないガ-ン
これからやっつけで思い出しながらお勉強です。

伊是名島には、四殿内(ユトゥヌチ)と呼ばれる尚円の姉、叔父、叔母の家系があり、尚円の親と一族を祀った墓が島にあり、伊是名玉御殿といいます。また伊是名玉御殿で行われる公事清明祭のために、首里王府から下賜された資料類(銘苅家資料)が、現在、伊是名村ふれあい民俗館にあります。

仕事柄、伊是名玉御殿と関連する資料群について調査する機会があったので、今回のテーマはきっとソレピース

約25名の会員さんとの一泊旅行ですが、あまりきばらずに楽しんできたいと思いますアップ

その前に仕事終わらせて勉強しなきゃね・・・パンチ!

写真は国指定文化財の銘苅家住宅です













  

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2008年01月24日

「あんやたん展」をみて

1月20日、沖縄タイムスの創刊60周年企画写真展「タイムスアーカイブ あんやたん」に、沖縄タイムスギャラリー(1階)に行ってきました。
同写真展は月1回の連載企画と連動し毎月開催されるもの。

今回は、1970年に連載された「二十五年の映像」から54枚の写真が紹介され、米軍統治下の祖国復帰運動行進や当時の国際通りの風景などもありました。

1970年といえば、まだ私も生まれてない復帰前びっくり!

中でも印象的だったのが、首里城跡に立っていた琉球大学の写真でしたアップ
首里城の話をしていると、当時を知る人たちは必ず「○○ビルの~」といって琉大キャンパスの例えが出てきます。現在の首里城しか知らない私には、毎度イメージつかない話だったのですが、今回展示された琉大キャンパスの写真と、復元された首里城公園の姿とを頭の中で重ね合わせてみましたが、ずいぶん面影が違いました。
「円覚寺総門」のみがかろうじて写っていたので、場所もイメージできた程度です・・・残念。
やっぱり当時を知らなきゃね・・・ガ-ン

1970年といえば、もしかして母はこのキャンパスに在学中ではなかろうか。
あの時代の人達の大事な思い出の一ページともいえますね。
私の青春は、西原琉大ですけどね。

さて、その「あんやたん展」の展示ですが、写真解説が当時の連載の抜粋だったようなのですが、時々1970年当時と今(2008年)のどちらを「現在」とさしているのかちょっと混乱させられました。私が分からなかっただけかしら?
ともあれ、面白い企画だな~と思いましたびっくり

なお、今朝の朝刊によると、27日(日)まで開催日が延期されたようです。
  
タグ :首里写真

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2007年11月28日

沖縄県立新博物館・美術館

11月1日にオープンした新博物館・美術館に昨日行って参りましたニコニコ

午後2時半頃に入館して、企画展、常設展とも見るぞと3種類のチケット購入(少し安くなります)。
まずは美術館の企画展「沖縄文化の軌跡-1872-2007」からスタート。
絵画、彫刻、建築、工芸、書、文学、音楽、舞踊、写真と、沖縄県設置以降から最近のアーティストの作品まで目白押し。展示室ごとにテーマは異なりますが、まず驚いたのは展示室内の天井の高さでした。あの広さで作品を見ると圧巻でした。
私の興味は、写真関連と古い時代の作品類でした。

なかでも、明治20年に描かれた山本奉翠作・「首里城美福門」の油彩画が展示されているのには、感動しましたアップ
首里城美福門は、戦前の写真など造形が分かる資料がなく、唯一姿を描いたのがこの油彩画なのだそうです。さすがに古い油彩画ということもあり、展示ケースは別に設けられてました。スゴイぞ!びっくり!

続いて博物館企画展「人類の旅-港川人の来た道」へ移動。こちらは素直に面白かったです。
進化の過程に沿って、頭骨や復元模型などが展示されてたし、4体の港川人もしっかり見ることができました。

最後に博物館常設展。
先日仕事でチラっと見る機会はあったのですが、今回はじっくり見ようと思っていたのに、企画展を見ている間にほとんど時間がない状況。
これまでの県立博物館との違いは、展示室が広くなったため今まで一堂に見ることができなかった資料をまんべんなく見ることができること。それから最新の映像コンテンツや展示手法を使って分かりやすく見せていることでしょう。
コンテンツまではじっくり見ることはできませんでしたが、やはり私の一番注目は、「伊平屋の阿母加那志」の復元衣裳でしたニコニコ
「伊平屋の阿母加那志」とは、伊是名島にある神女職の名称。実は第二尚氏始祖の尚円金丸の姉の系統が代々継いでいた高級神女なのです。復元された衣裳は、現存する衣裳をもとに製作されたもので、琉球の高級神女についてかなりイメージできますサクラ
また、残欠にはなってますが、石碑や梵鐘など旧館では展示できなかった大型資料が展示されており、沖縄の金石文文化もしっかりアピールできるな、と実感できました。

閉館の18時ギリギリまで粘りましたが、結局、早足で見てしまいました。
開館までは、どんな建物なのか全く想像つきませんでしたが、沖縄の資料を一堂に展示できる場所ができた、ということはうれしいことです。

今度は違う角度で見学にいきたいものです。
3時間半歩きづくしはさすがに疲れましたけどね・・・眠っzzz





  

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2007年11月22日

秋空のヨットクルーズ?

 11月18日(日)、ヨットクルージングに出かけました。船
 ヨットは宜野湾マリーナにある「レキオス」。レキオスと言えば、マラッカなど東南アジアに貿易に来ていた「琉球人」のことを、ポルトガルのトメ・プレスなどが『東方見聞録』で紹介したことで、最近は「琉球」の代名詞として有名ですが、このヨットには、琉球人のロゴと共に、2匹の龍のデザインが描かれてました。かっこいい・・・(でも写真撮るの忘れた)。

 朝の天気は若干、曇り・・・日焼けの心配はないな・・と、洋上で飲み食いするビールやおつまみをいそいそと買い出しマリーナへ到着したところ、「今日は、沖のは風は強いよ~。船酔いする人は薬飲んでね」と事前忠告を受けましたガ-ン
 
 子供を含め約10名が乗り込んで、いざマリーナを出発。
 港を出たとたん波が結構高く、船酔い気味で"どんぶらこっ"と沖合へ。当然ですが、船酔いのため、ビールやおつまみどころの話じゃありませんでした。がーん

 いったん慶良間方面に向かったのですが、波の影響を少しでも避けるために那覇港へ向かい、約1時間くらいは那覇港内でのんびりとクルージングができました。
 那覇港に入ると、防波堤が二つに分かれていることを発見。琉球王国時代にも「唐口」「大和口」と呼ばれた場所で、それぞれに向かう入り口だったのだそうです。名前は聞いたことがありましたが、実感、実見したのは初めてでとても不思議な感じでした。 その他、泊高橋の下をくぐったり、普段見る風景とは逆の海からの眺めはサイコーでした。
 
 アトハテンキサエヨカッタラネ・・・OK
 次回は夏にチャレンジしたいと思いますやし

 ちなみに買い出しした食材は、銘々の自宅へ引き取られましたとさ。










  
タグ :ヨット

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