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2008年03月17日

伊是名に行きます

首里城公園友の会の離島巡見で、今月末に伊是名島に行くことになりました。
しかも・・・講師で・・・。

この企画は、年度の始めから決まっていたのですが、日程を決めずにいたためズルズル年度末になってしまいました。
伊是名島は、尚円王(金丸)の生誕の島として知られる歴史の島です。

仕事でちょくちょく通っていたのですが、そういえば改めて史跡巡見と行っても、全島巡ったのって数える程しかないガ-ン
これからやっつけで思い出しながらお勉強です。

伊是名島には、四殿内(ユトゥヌチ)と呼ばれる尚円の姉、叔父、叔母の家系があり、尚円の親と一族を祀った墓が島にあり、伊是名玉御殿といいます。また伊是名玉御殿で行われる公事清明祭のために、首里王府から下賜された資料類(銘苅家資料)が、現在、伊是名村ふれあい民俗館にあります。

仕事柄、伊是名玉御殿と関連する資料群について調査する機会があったので、今回のテーマはきっとソレピース

約25名の会員さんとの一泊旅行ですが、あまりきばらずに楽しんできたいと思いますアップ

その前に仕事終わらせて勉強しなきゃね・・・パンチ!

写真は国指定文化財の銘苅家住宅です













  

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2008年03月16日

尚順男爵について

食の王国社が発行している「沖縄に住む」vol7に、”「琉球薬膳」王家の食養生”と題した、尚順男爵とその料理に関する特集が取りあげられています鉛筆

尚順氏は、琉球最後の国王・尚泰の四男として生まれ、松山王子・松山御殿を称した方です。明治以降は事業家であり、貴族院議員でもありました。様々な事業を経営する他、博覧強記の教養人、趣味人として、特に書については沖縄の名筆とされた人物です。沖縄戦にて亡くなりました(1873~1945年)。
その住まいにあたる松山御殿は首里桃原町にあり、大正13年には桃原農園を設立し、沖縄の温暖な気候を活用した熱帯果樹や香辛料、寛容植物の栽培が行われたそうです。松山御殿は沖縄戦で消失。戦後は桃原農園(首里トロピカルガーデン)として一般に開園されていました(現在、敷地の一部は「ラ・フォンテ」というレストラン)。

尚順氏は非常に美食家だったらしく、その遺稿集『松山王子尚順遺稿集』にも、食について述べられています。
「沖縄に住む」では、その松山御殿の食卓を再現して紹介しています。
写真を見てるだけでも・・・おいしそ~ですラブ

先日、県立博物館の新収蔵品展に行くと、収蔵品の中にかつて松山御殿にあった資料も展示されていました。
その中に、尚順氏と真子夫人の肖像画もありました。写真をもとに描かれた肖像画で、もとの写真も本などで拝見したことはありましたが、キリリとした面持ちの尚順氏の姿は展示資料の中でも印象的でしたおすまし

※一番の目当ては、「孔子及び四聖配像」だったのですが・・・
http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/topics/detail.jsp?id=42

松山御殿の敷地には、「サスカサ樋川」と呼ばれる立派な井泉が残っており、現在でも信仰の対象とされています。
松山御殿や尚順男爵については、いつか「首里かわらばん」でも取りあげられたらいいな~アップ

参考文献:『松山御殿物語』刊行会編 『松山御殿物語 明治・大正・昭和の松山御殿の記録』ボーダインク社
  
タグ :首里歴史

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2008年03月15日

首里かわらばん雑録

13日のタイフーンFMへの出演をうけ、たくさんの身内からコメントをいただきました。
本当に緊張していたのが伝わったようで、ずいぶんネタにされました。

告知の中で紹介した「てぃーむち会」の方には、早速、慰労の酒宴を設けていただきました。
おそらく集まるきっかけが欲しかっただけかも・・・とは思いますが、ありがとうございました。

さて、首里かわらばんは第1号から試行錯誤をくりかえして製作しているので、デザイン等も毎号すこしずつ異なります。
その中で、第2号から変わってないのがタイトルデザインです。
こちらは第2号から参加していただいた、石原左内さんのデザイン。

当時は首里金城町にお住まいになり、いつも物静かな語り口調で、私が伝えたいテーマについて、デザイン面からアドバイスをくださっていました。
現在はお仕事の都合もあり東京にいらっしゃいますが、昨日、このブログを見つけてくださり、久々にメールをいただきました。

その件を早速、夜に行われた首里かわらばんの編集会議で報告したところ、改めてそのタイトルを皆で見入ってしまいました。
「綾門大綱のミーチカヌチ(三つの貫)の話をしたら、石原さんが早速イメージイラストを描いてきてくれたんだよなあ。あれがあったから皆のイメージづくりになった」と会議メンバーの石崎さんがおっしゃっていました。

・・・そういえばそうでした。
石原さんって短い期間だったけれども、首里の活動に大きな足跡を残したんですね。

なんだか少しうれしくなって、ちょっとご紹介させていただきました。
石原さん、早速ネタにしてすいません。
また沖縄に来ることになったら、ぜひ首里で会いましょうね。

13日、14日はかわらばんデーといった感じでした。
9号も完成形に近づきつつあり、発行が楽しみなところです。




  

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2008年03月13日

タイフーンFMに出演してしまいました

久々の投稿なのに、すごいタイトル。

いつの間にか3月。年度末のあわただしさの中、日々すごしています。
首里かわらばんも、第9号の発行に向けて着々と準備が進んでいます。

そんな中、タイフーンFMさんの「ヒトワク」という番組で、「首里かわらばん」の宣伝をさせていただきましたおすまし

15分程度の時間でしたが、朝から緊張しすぎ、何を話すか考えすぎ。
仕事も手につかず、当然仕事を抜け出して、首里まで意気込んで行って参りました汗

結果、メモ書きで作ったペーパーを一行も見ることなくしゃべり倒してしまいました。
一部しどろもどろしてますが、必死さを早口でカバーしているのが、聞き直すとよくわかります。

ナビゲーターは諸見里杉子さんハート
この方も、首里かわらばんを通じて知り合うことができた方ですが、声がきれいで(当然か・・)、とても素敵なお話をされる方です。
久々にお会いできてうれしかった~。

もし良ければ、聞いてください。

ちなみに大事なことを言い忘れていました。
この「首里かわらばん」の編集は、「首里かわらばん編集会議」であるということ。
お話の中で、発行が総合事務局と首里城という体制から、地域のNPO首里まちづくり研究会に移行したことは述べましたが、編集の体制として、行政と首里城、さらに地域の有志の方々による会議の場を設けて、テーマや内容を決めてこれまで発行されてきました。
首里まち研に移ってからは、会議のメンバーから行政関係の方はなくなっていますが、基本的にはそのスタンスは変わっていません。当初から一緒に関わってきた人々の支えあっての「かわらばん」、その事を話すのを忘れてました。
ここでちょっと補足しておきます。

首里かわらばんのバックナンバーは、ネットでも見ることができます。
発行済みの8号までは既に掲載済みです。
こちらのサイトからどうぞ↓
e-首里.com
http://www.e-sui.com/kawara/

現在作成中の第9号は、3月末に発行予定です。







  

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2008年02月08日

首里かわらばん8号発行

首里地域の情報紙「首里かわらばん」8号が発行されましたキラキラ 

今回は、「真和志(マージ)今昔~人と文化に触れる」と銘打って、首里真和志町の特集ですおすまし

現在は静かな住宅街になっている真和志ですが、琉球王国時代は王都を代表する施設が立ち並び、そして明治以降は、大きな市場があったりとにぎわいのある場所でした。
そんな真和志の歴史と人を紹介しています。

また、これまで発行された1号~7号までのバックナンバーがホームページで閲覧が可能になりましたピース
第8号の掲載はまだですが、近々公開されることでしょう。

首里地域情報ポータルサイト 「e首里ドットコム」で見られます。
また、このサイトでは第8号で取り上げられている「金細工またよし」の情報がさらに詳しく解説されています。
あわせてお楽しみください。
http://www.e-sui.com

そして第9号の発行にむけて、再び編集作業がスタートしました。
年度末忙しくなるけれど、がんばらねば・・・ですぶーん

  

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2008年02月08日

首里城公園友の会文化講演会

首里城公園友の会主催で、文化講演会を行います。
一般の方も参加できるそうなので、お気軽にどうぞ。

私は行きたかったけど、お仕事が入りました・・・残念

首里城文化講演会 瓦と漆喰シーサー
首里城復元の瓦製作と瓦工事の大役を果たした奥原崇典さんに瓦と漆喰シーサーについてお話していただきます。
今でこそ、赤瓦屋根にシーサーが鎮座しているのが沖縄の風習として知られていますが、実はシーサーが赤瓦屋根に鎮座するようになり、県民により身近で親しみやすい存在になったのは瓦職人と深い関係が・・・!!
瓦職人として数々の実績を積む一方、画家としても著名である奥原崇典氏の講演会に、ぜひ皆様お誘い合わせの上おこしください。

講師:奥原崇典氏(瓦職人)
日時:平成20年2月23日(土)午後2時~3時半
場所:沖縄都ホテル(地階・瑞雲の間)
   電話 098-887-1111
地図はこちら
入場無料
主催:首里城公園友の会
   電話 098-886-2020
  

Posted by りゃん at 12:10Comments(0)TrackBack(0)首里城公園友の会

2008年01月30日

首里城花まつり

2月29日(火)午後、首里城公園の花まつりを見てきました。
ぐずついていた天気も、ちょうど晴れ間が見えており、お散歩モードとしては良い雰囲気でしたよおすまし

歓会門から広福門では、桜やチョウの形をした色鮮やかな花々が出迎え、下之御庭では国王と王妃、木曳門側には、三線と女踊りをイメージした造形物が展示されてました。
園路には桜も設置されており、今年の初桜は首里城で拝んでしまいましたサクラ

2月24日(日)までの催しとのことです。
次は、ライトアップされたのを見に行くことにしますアップ







  

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2008年01月24日

「あんやたん展」をみて

1月20日、沖縄タイムスの創刊60周年企画写真展「タイムスアーカイブ あんやたん」に、沖縄タイムスギャラリー(1階)に行ってきました。
同写真展は月1回の連載企画と連動し毎月開催されるもの。

今回は、1970年に連載された「二十五年の映像」から54枚の写真が紹介され、米軍統治下の祖国復帰運動行進や当時の国際通りの風景などもありました。

1970年といえば、まだ私も生まれてない復帰前びっくり!

中でも印象的だったのが、首里城跡に立っていた琉球大学の写真でしたアップ
首里城の話をしていると、当時を知る人たちは必ず「○○ビルの~」といって琉大キャンパスの例えが出てきます。現在の首里城しか知らない私には、毎度イメージつかない話だったのですが、今回展示された琉大キャンパスの写真と、復元された首里城公園の姿とを頭の中で重ね合わせてみましたが、ずいぶん面影が違いました。
「円覚寺総門」のみがかろうじて写っていたので、場所もイメージできた程度です・・・残念。
やっぱり当時を知らなきゃね・・・ガ-ン

1970年といえば、もしかして母はこのキャンパスに在学中ではなかろうか。
あの時代の人達の大事な思い出の一ページともいえますね。
私の青春は、西原琉大ですけどね。

さて、その「あんやたん展」の展示ですが、写真解説が当時の連載の抜粋だったようなのですが、時々1970年当時と今(2008年)のどちらを「現在」とさしているのかちょっと混乱させられました。私が分からなかっただけかしら?
ともあれ、面白い企画だな~と思いましたびっくり

なお、今朝の朝刊によると、27日(日)まで開催日が延期されたようです。
  
タグ :首里写真

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2008年01月13日

イヌマキ育樹祭

1月12日(土)、国頭村辺野喜ダム近くにて、首里城公園友の会のイヌマキ育樹祭が開催され、参加してきました。

イヌマキ(方言名:チャーギ)は、沖縄の伝統的建築用材で首里城にも使用されています。
100年後、200年後の復元の時に活用してもらえたらとの思いをこめて、友の会にて平成4年に植えたものを、その成長を見に行くという企画です。

作業は下草刈りと肥料やり。
普段、鎌を持つ機会のない私も会員の皆さんと共に、一生懸命草を刈ってきましたよ。

例年はひんやりした空気での作業なのですが、昨日は夏のような暑さ、久々に汗をかいていい運動になりました。


 

  

Posted by りゃん at 14:03Comments(0)TrackBack(0)首里城公園友の会

2007年12月15日

首里かわらばん再開にあたり・・・

首里に関わる地域情報誌「首里かわらばん」がこのたび、NPO首里まちづくり研究会さんの編集・発行という形で再開される運びとなりましたおすまし

「首里かわらばん」は、首里城と首里地域との連携やまちづくりの支援、歴史・文化を中心とした地域資源の発掘、見直しを主な目的に、沖縄総合事務局と首里城公園にて発行されていたものです。
今後は、地域の人々の手によって発行されることになります。

1号から6号まで、取材・編集などの担当をしていた手前、コーディネーターとしてお手伝いをすることになりました。
コーディネーターと偉そうなことを言ってますが、今までは取材・記事書きを含めてほとんど一人で行ってきた手前、今後は多くの地域ライターや取材協力者が生まれ、紙面という媒体から様々な活動に展開していければな~という私のささやかな気持ちもあります。

この「liangかわらばん」も、「首里かわらばん」で発散できない私の気持ちを表現しようというきっかけで始めたのですが、中々初志貫徹できないのが正直なところです。

先日、かわらばんで取材させていただいた首里人の文化研究会の方から、冊子とお手紙をいただきました。
お手紙には、「これ以上は望めない“賞賛の文章”は私を励まし、元気を与えてくださいました」とのお褒めのお言葉と、冊子には、「この冊子を次の世代の若い人たちへ贈ります」との寄せ書き。
素敵な方々にお会いできて良かったな~という気持ちと共に、次世代の一人として色々な想いが託された気がしました。

おそらく、編集やライターさんはこうした機会は何度もあるのかもしれませんが、私にとってはとても有難いメッセージだったと思います。

「首里かわらばん」に関わり、2年あまりの間に多くの方々と知り合う機会がありました。
私にとっては非常に大きな財産になりつつあります。

さて、首里かわらばん第8号がいよいよ始まります。
気を引き締めながらも、楽しみながら活動に参加できればと思っています。






  

Posted by りゃん at 15:23Comments(0)TrackBack(0)首里あれこれ

2007年11月28日

沖縄県立新博物館・美術館

11月1日にオープンした新博物館・美術館に昨日行って参りましたニコニコ

午後2時半頃に入館して、企画展、常設展とも見るぞと3種類のチケット購入(少し安くなります)。
まずは美術館の企画展「沖縄文化の軌跡-1872-2007」からスタート。
絵画、彫刻、建築、工芸、書、文学、音楽、舞踊、写真と、沖縄県設置以降から最近のアーティストの作品まで目白押し。展示室ごとにテーマは異なりますが、まず驚いたのは展示室内の天井の高さでした。あの広さで作品を見ると圧巻でした。
私の興味は、写真関連と古い時代の作品類でした。

なかでも、明治20年に描かれた山本奉翠作・「首里城美福門」の油彩画が展示されているのには、感動しましたアップ
首里城美福門は、戦前の写真など造形が分かる資料がなく、唯一姿を描いたのがこの油彩画なのだそうです。さすがに古い油彩画ということもあり、展示ケースは別に設けられてました。スゴイぞ!びっくり!

続いて博物館企画展「人類の旅-港川人の来た道」へ移動。こちらは素直に面白かったです。
進化の過程に沿って、頭骨や復元模型などが展示されてたし、4体の港川人もしっかり見ることができました。

最後に博物館常設展。
先日仕事でチラっと見る機会はあったのですが、今回はじっくり見ようと思っていたのに、企画展を見ている間にほとんど時間がない状況。
これまでの県立博物館との違いは、展示室が広くなったため今まで一堂に見ることができなかった資料をまんべんなく見ることができること。それから最新の映像コンテンツや展示手法を使って分かりやすく見せていることでしょう。
コンテンツまではじっくり見ることはできませんでしたが、やはり私の一番注目は、「伊平屋の阿母加那志」の復元衣裳でしたニコニコ
「伊平屋の阿母加那志」とは、伊是名島にある神女職の名称。実は第二尚氏始祖の尚円金丸の姉の系統が代々継いでいた高級神女なのです。復元された衣裳は、現存する衣裳をもとに製作されたもので、琉球の高級神女についてかなりイメージできますサクラ
また、残欠にはなってますが、石碑や梵鐘など旧館では展示できなかった大型資料が展示されており、沖縄の金石文文化もしっかりアピールできるな、と実感できました。

閉館の18時ギリギリまで粘りましたが、結局、早足で見てしまいました。
開館までは、どんな建物なのか全く想像つきませんでしたが、沖縄の資料を一堂に展示できる場所ができた、ということはうれしいことです。

今度は違う角度で見学にいきたいものです。
3時間半歩きづくしはさすがに疲れましたけどね・・・眠っzzz





  

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2007年11月25日

おつかれ鍋会

11月24日、OTVにて、「古都首里に蘇った幻の大綱」が30分の特番にて放映されましたピース
私はというと、綱の中央に陣取る、邪魔者カメラマンの一人として、ばっちり映っとりました汗

そしてその晩、首里当蔵てぃーむち会発案による鍋会及びビデオ鑑賞会が、当蔵公民館にて開催。
発端は私が風邪気味だというミクシーでの日記からなのですが、公民館をうめつくす大勢の関係者の方々が集まり、腹いっぱいご馳走になりました。

ちなみにミクシー内で、鍋会の企画と共に、勝手に検討されていた鍋会テーマをまとめると以下のとおり。

『大成功、綾門大綱曳き思い出し、家族に迷惑掛け 会社にも迷惑掛けみなさん毎度お騒がせしてます。やっぱり当蔵か~!
来年何するてぃーむち会、イケイケ!GOGO!鍋GOGO! あなたはつけめん!おれイケメン!
リャンリャン・ニャンニャン祭りで風邪ぶっ飛ばせ独身女性を囲み、11月22日はいい夫婦、ふうふう熱いよ、お鍋さん。
大成功した 綾門大綱曳き”完”』

いや~、意味が解らない汗

でもあったかいお鍋と、たくさんの差し入れと、美味しいビールで心も体もあたたまりました。
ありがとうございます。

綾門大綱関連イベントは、ほんとーに終わりですよね???
終了後も余韻が多くて、気持ちの整理ができないのが正直なところですねタラ~



  
タグ :綱引き首里

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2007年11月22日

秋空のヨットクルーズ?

 11月18日(日)、ヨットクルージングに出かけました。船
 ヨットは宜野湾マリーナにある「レキオス」。レキオスと言えば、マラッカなど東南アジアに貿易に来ていた「琉球人」のことを、ポルトガルのトメ・プレスなどが『東方見聞録』で紹介したことで、最近は「琉球」の代名詞として有名ですが、このヨットには、琉球人のロゴと共に、2匹の龍のデザインが描かれてました。かっこいい・・・(でも写真撮るの忘れた)。

 朝の天気は若干、曇り・・・日焼けの心配はないな・・と、洋上で飲み食いするビールやおつまみをいそいそと買い出しマリーナへ到着したところ、「今日は、沖のは風は強いよ~。船酔いする人は薬飲んでね」と事前忠告を受けましたガ-ン
 
 子供を含め約10名が乗り込んで、いざマリーナを出発。
 港を出たとたん波が結構高く、船酔い気味で"どんぶらこっ"と沖合へ。当然ですが、船酔いのため、ビールやおつまみどころの話じゃありませんでした。がーん

 いったん慶良間方面に向かったのですが、波の影響を少しでも避けるために那覇港へ向かい、約1時間くらいは那覇港内でのんびりとクルージングができました。
 那覇港に入ると、防波堤が二つに分かれていることを発見。琉球王国時代にも「唐口」「大和口」と呼ばれた場所で、それぞれに向かう入り口だったのだそうです。名前は聞いたことがありましたが、実感、実見したのは初めてでとても不思議な感じでした。 その他、泊高橋の下をくぐったり、普段見る風景とは逆の海からの眺めはサイコーでした。
 
 アトハテンキサエヨカッタラネ・・・OK
 次回は夏にチャレンジしたいと思いますやし

 ちなみに買い出しした食材は、銘々の自宅へ引き取られましたとさ。










  
タグ :ヨット

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2007年11月14日

追っかけイベント その3

11月3日文化の日。
首里のまちでは、毎年恒例のお祭りの日でした。いつもと異なるところはこれまでは「首里文化祭」だったのが「琉球王朝祭り」へ名称を変更したことでしょうか。

今年はフリーだったので、当蔵町の旗頭パレードを最初からずっと追っかけができました。
当蔵町は、月と菊の2つの旗頭を持ちます。
そしてここの醍醐味は、パレード中でこの2旗が掛け合いをすること。
ぶつかりそうでぶつからない。倒れそうでも倒れない(ちょっと怖かったけど・・・)
レンズ越しで見るのがもったいないくらいきれいでした。

















  

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2007年11月14日

追っかけ大騒動 その2

10月27日の夕方からは、綾門大綱の復興イベントが開催されました。

午後3時ごろから、県立博物館跡地に集まり、綱の移動と安全祈願祭り、そして会場となる綾門大通り前まで綱が運ばれました。


実はこの写真、綱を運ぶトラックの上から。
綱を運ぶついでに撮影班として乗せてもらいました・・・。このまま「サーサーサー」と鉦鼓にあわせて綾門大通りへ移動。
高かったよ~。怖かったよ~。でもちょっと気持ちよかったっすびっくり!





そしてこれが綾門大綱の本体。全長約200メートル。
長い!!先端が見えないのです・・・。


















そして夜もじょじょに更け始め、旗頭の登場から始まり、様々な首里の伝統芸能のお披露目でイベントが始まりました。

こちらは路次楽の演奏です。
ものすごい人だかりです。






綾門大綱は4本の綱を3つのカヌチでつなぐのが特徴。
2回対戦しました。
1回戦は東の勝利!
なんと西の内側の綱がほぐれて(切れて?)しまい、2回目の対戦は、4本のうち東西の先端の綱を引き寄せて再度引かれました。




綾門大綱の基礎となる明治時代の記録でも、同じような現象が起こったらしく、偶然とはいえその部分まで再現しちゃったことになります。
綱方の人たちは、とにかく必死に統制をとろうとがんばってました。


カヌチの近くには当然カメラを持つ人だかり。安全を守る統制の方々とカメラと綱を引く観衆・・・いつも車が通る綾門大道がすっごく狭く感じました。





そしてフィナーレは旗頭。
今回は首里の旗頭のほかに、那覇からも3旗の応援がありイベント後も皆でガーエー大会を繰り広げてました。





その後10時から、公民館にて打ち上げ。
さすがに疲れて早めに帰宅しましたが、翌日は完全に動けませんでした・・・。

首里城祭に綾門大綱、私のながーい追っかけ1日でした。  

Posted by りゃん at 23:14Comments(0)TrackBack(0)綾門大綱

2007年11月14日

追っかけ大騒動 その1

なかなか投稿せず、気が付けば首里のイベントの大方が終了してしまいました。
母にいい加減投稿しなさいと言われ、本当は少しかしこまって記事を書くつもりでしたが、なかなか筆(?)も進まないので、私の視点、独断で楽しくまとめます。

名づけて、りゃんの追っかけ首里イベント騒動。

まず10月27日、首里城では、中国皇帝の使者を迎える冊封の行列と儀式の再現イベントが行われました。
この再現の企画に多少関連があったので、毎年拝見させていだたいてますが、当日は快晴で気持ちの良い日でしたニコニコ


冊封使一行です。このメインの正使・副使などの重要な役どころは、半数が中国からの留学生です。王国時代だけでなく、今もインターナショナルな首里城!







儀式の場面。国王が巻物をもらったシーンです。

北殿側からの撮影はベストポジションなのですが、日差しを直接あびてしまい、なかなか大変でした。





冊封使行列、儀式は約1時間10分程度で終了。今年は間の時間をおかないで、連続シーンの開催だったので出演者の方々はでずっぱりで大変だったでしょうね。
おつかれさまです・・・ぶーん
  

Posted by りゃん at 22:32Comments(0)TrackBack(0)首里あれこれ

2007年09月10日

綱づくりに参加しよう!

綾門大綱復興イベントまで、いよいよ2ヶ月をきりました。
先日、コンベンションビューローの「真南風ネット」を見たら、イベントスケジュールにしっかり入っててちょっと感動しましたピース

さて、本番に向けて、毎週日曜に首里では大綱づくりを行っており、そのお手伝いの方々を探しているそうです。
都合のつく時間だけの参加も大歓迎とのこと。
109年ぶりの大綱づくりをぜひ体験してみてはいかがでしょうか。
ちなみに、昨日は大雨の中、皆作業なさったそうです・・・お疲れ様でした(打ち上げも派手だったようですが・・)

業期間:毎週日曜(始まってます) 10月27日まで
時間:午前9時~午後6時(都合のつく時間だけの参加も歓迎)
場所:首里りゅうたん付近(案内看板あり) 昨日は城西小学校でした。
作業内容:米わらから直径60cmの大綱に仕上げる工程です


飛び入り参加は大丈夫でしょうが、暑さ対策だけはしましょう。

連絡先:綾門大綱復興・ゆいフェスティバル実行委員会
090-3794-6666

ちなみに綾門大綱本番は、10月27日(土)です!!
綾門大道(首里高校・玉陵前)で行われます
  

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2007年08月28日

旧盆エイサー

今年も旧盆が無事終了しました。
各地で地域のエイサーが行われたようですね。

我が家の前は、松島エイサーのスタート地点らしく、一度演舞してから出発していきました。
上から見るエイサー。なかなかない機会なので激写。




  

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2007年08月21日

首里城親子見学会

8月18日(土)、首里城親子見学会が催され、不肖ながら私も案内講師として参加しました。

今回は予想以上の反響だったため、首里城の学芸員さんと、35人ずつの2班に分かれての開催。
子供たちは、上は小学校5、6年生、下は1年生と年齢にバラツキはあったのですが、和気あいあいで2時間を満喫してきました。

18:30に守礼門前を出発して、御庭・正殿につく頃にはもう真っ暗。
低学年の子供たちを、どうやって暗い首里城をびびらせようかと一瞬考えましたが、
「どうして王様は、今いないの?なんで死んだの?」
と質問攻めする無邪気な子供たちの勢いに負け、結局は子供たちペースでしたが・・・ぐすん

昼は「燃ゆる首里城」の鑑賞。夜は親子見学会。
子供たちに元気をもらいながら、首里城を満喫した一日でした。








  
タグ :首里歴史

Posted by りゃん at 00:39Comments(0)TrackBack(0)首里城公園友の会

2007年08月21日

那覇市真嘉比の綱引き

8月19日(日)、那覇市真嘉比の豊年祭にて、綱引きが行われましたアップ
真嘉比の綱引きは、那覇市内で唯一のワラ綱によるムラ綱です。

朝8時から、公民館前の広場にて、地域の皆さんによる綱づくりが行われ、綾門大綱実行委員会のメンバーもこちらに参加協力しました。




真嘉比と首里との交流は、今年で4年目なのだそうです。真嘉比の綱と綱づくりの技術を、首里のメンバーが習得に行く一方、真嘉比の旗頭は、首里の青年メンバーが一部参加協力しているそうです。伝統技術の交流、継承の実践ですね。

早朝からあまれた綱は、午後4時より雄綱・雌綱に分かれて最終的に束ねられます。





午後6時より豊年祭が開始。
子供たちや婦人会のエイサーや踊りの後、旗頭の演舞と2回の綱引きが行われました。
旗頭の演舞の頃から雨がチラホラ降ってきましたが、ドラの音にあわせてゆったりと舞(モ)うらしてました。







真嘉比の大綱は、雌雄の綱を合わせてカヌチを入れた瞬間がスタート。
一気に始まり、一気に勝負。




「ハーイヤ」とのかけ声にあわせて、皆さん一生懸命ひいています。
実は撮影している私は、雨降り中でのカメラを死守しながらの撮影。必死・・・ガ-ン



大盛況で役目を終えた真嘉比の綱は、今度は首里の綾門大綱として蘇りますおすまし

朝から綱づくりに参加した皆様、ほんとにお疲れ様でしたニコニコ  
タグ :首里綱引き

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