2008年07月01日
首里城からみたまち
「西(イリ)のアザナ」と呼ばれる物見台からの景色。
こちらは首里城一の眺望ポイントと言われるところで、那覇のまちなみや背後に海が見えます。
そして、慶良間諸島も見えますね~


同じく、西のアザナから、視界を少し北側に向けると、城西小学校と龍潭通りの家がみえます。
龍潭通りは、那覇市の景観形成地域として、歴史的なまち並みを創出するため、県道整備と共に沿線沿いの建て替え工事の真っ最中。撮影した場所は池端町側の家です。
赤瓦が建物にのってる小さな建物群がなんだかカワイイです~

首里城からは「こーやってみえるんですよ」という意味で、掲載しておきます。
分かる人しか、理解しづらい写真ですが・・・。

一部、わかりづらいかと思うので、見えているあたりの龍潭通り沿線からの写真も追加(見えているのはこのあたりかな)
2008年07月01日
首里城のいま

現在、漆を塗装中の、漏刻門(ろうこくもん)です。

建物や門に使用されていた漆等の塗装を定期的にメンテナンスしているのですね。
はじめて首里城に来る方は、工事に出会ってちょっとびっくりかもしれませんが、ビニールシートの中では、職人さんがせっせと漆を塗っている姿も見れて、普段みれない、ユニークな光景です。

漏刻門の塗装工事は9月頃までのようです。
ちなみに首里城のメインシンボル・正殿も現在、裏側をお色直し中です。

2008年06月29日
ダリと沖縄
沖縄県立博物館・美術館にいってきました。
展示会では、沖縄タイムス紙上でもとりあげられていましたが、戦没画学生の作品を収集する長野県の「無言館」の収蔵品と、沖縄戦を生き抜いた画家たちの戦後の作品が展示されていました。
絵画はほとんど見る機会はないのですが、今回は作品そのものだけでなく、その人々と家族の思いを含めて遺品や写真を含めて、ひとつの時代を生きてきた「証」のようなものが伝わった気がします。
ここでタイトルとの本題
話は聞いていたのですが、博物館でチラシを見つけたので、面白そうなのでご紹介。
海洋博が残した「沖縄の宝「SUN GOD RISING IN OKINAWA」 サルバドール・ダリと沖縄」企画展が海洋博公園他、施設で開催されるようです。
1975年に開催された、沖縄国際海洋博覧会。その際、展示されたダリの作品が、33年の歳月を経て里帰りするようです。
海洋博公園だと無料のようです(これは施設見学料金ってことかしら?)。
2008年7月1日~31日 海洋博公園内 海洋文化館2階:無料
2008年8月3日~8月31日 沖縄こどもの国ワンダーミュージアム:有料 一般1000円 学生500円
2008年9月10日~9月28日 浦添市美術館 :有料 一般1000円 学生500円
主催:沖縄ダリプロジェクト実行委員会(沖縄観光の未来を考える会事務局内)
電話 863-1767
2008年06月29日
家の前に居酒屋
看板がかわいい・・・

アピールしてますね
。いつか行ってみたいですが、家の前すぎてまだ挑戦できない状況です。
夜に携帯で撮影したのでちょっと微妙な写りですが・・・。
2008年06月10日
伊是名島とデーモン閣下
。 デーモン小暮の琉球・大和邦楽サミット@伊是名が6月28日にあるようです。
なんと、デーモン閣下と沖縄ロックの大御所、ジョージ紫氏が競演なのだそうです

伊是名島とデーモン閣下・・・面白そう・・・

でも行けない・・・

どなたか行く人がいたら、後日、感想を教えてください
http://www1.ocn.ne.jp/~izena88/kogure/kogure1.html
2008年06月09日
とにかく歩く
土曜日は、首里桃原町に用事があったので、自宅(真嘉比)から山川の斜面を上って目的地へ。
帰りは、車で拾ってもらう約束だったので、車が来るまでひたすら幹線道を歩きましたよ。
その間、約1時間ちょっと。
首里は坂道が多いので歩くのは少ししんどいかと思いましたが、思った以上に距離を稼げた気がしました

そして日曜は、国際通りのトランジットマイルへ。
国際通りのこの仕組みは、平成19年のはじめスタートしているようですが、実ははじめて行って参りました。
当初に比べたら、人は減っているようですが、拠点拠点で、オープンカフェがあったり、子供達が道路で遊んだりと面白そうでした。

オープンカフェに座りたい誘惑にかられながら、最終的には、那覇市歴史博物館(パレット久茂地)へ。
博物館では、常設展示の他、企画展として「女性・子どもたちの 沖縄戦」を開催しており、写真パネルや資料による展示が行われていました。
この那覇市歴史博物館には、国宝に指定された「琉球国王尚家関係資料」をはじめ、那覇をテーマとした様々な展示が行われています。
展示室はこじんまりしているのですが、資料は尚家資料以外も結構いいものが・・・。
展示替えにあわせて気軽に見に行くには、いい施設だと思います。

前回、国際通りを徒歩散策した時は、壺屋焼物博物館に足を運んだのですが、ブラッと歩いた先に、博物館があるっていうのはなかなかいいもんです。
さて帰りは、途中寄り道をして、おいしいビールと夕飯をいただいてから、再び歩いて帰りました。

国際通りから真嘉比・新都心方面への徒歩は、高低差があるので安里あたりから結構しんどいんです・・・
。ビールの影響もあってか、少しヘロヘロ気味でした。
次回は、新都心一周+県立博物館コース、または浦添コース(美術館)というのもいいかもね。
半分は、涼みに・・という目的なのかもしれません

2008年05月30日
首里城公園友の会文化公演会
まずは、総会と記念講演会です。
ちなみに私は今回、総合司会を担当します。
講演会は一般の方も参加できますのでお誘い合わせの上、お越し下さい。
以下、お知らせです・・・
演 題; 「首里城公園の今と今後」
講 師;後藤 和夫 氏
(内閣府 沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所長)
日 時;平成20年6月21日(土)
午後2時半頃(総会終了後)から4時
場 所;沖縄都ホテル地階(虹雲の間)
主 催;首里城公園友の会
☆どなたでも参加できます
問い合わせ先
首里城公園友の会事務局
〒903-0815
沖縄県那覇市首里金城町1-2
Tel098-886-2020/Fax098-886-2919
2008年05月29日
聞得大君御殿を救った女官
いかんな~。
首里城公園友の会の会報に掲載した、記事を転載します。
琉球歴史人物館
仲程大阿母志良礼~聞得大君御殿を救った女官~
首里城や周辺の御殿には、政治・行政を担当する男性役人の他、国王や王族の世話や祭事の職務を担当する女官がいました。『女官御双紙』によると、首里城内の女官は大勢頭部を最高位に、勢頭部、あむしられ(阿母志良礼・あんしたり)、あねべ、あがまといった序列で組織化されていたことが分かります。男性役人に比べ、女官や神女に関する職務や人物像については家譜にも記録されておらず、なかなか実態が分からない状況ですが、今回は『球陽』に記録された女官・仲程大阿母志良礼(おおあむしられ)について紹介します。
仲程大阿母志良礼は、尚敬王代に王国の最高神女である聞得大君に仕えた女官です。当時の聞得大君は、尚敬王の母親にあたる前王尚益王妃坤宏で、屋敷は汀志良次村(汀良町)にあったようです。『球陽』の尚敬三十二年(一七四四)の記述を意訳すると次のように記されています。
聞得大君国母宮が火災にあう
国母宮(聞得大君御殿)が七月十九日夜、火災にあった。御殿の女官に仲程大阿母志良礼という者がおり、この火災にもあわてずに御殿の責任者たる大親に報告し、次に庭門を開いて国母(聞得大君)を避難させ、女官や官吏に警護にあたらせた。さらに蝋燭をとって再び建物内に入り、宝物の所在を役人衆に指示した上で、聞得大君の輿に従って首里城に入った。尚敬王と王妃は火災の鐘の音を聞き、国母を首里城へ出迎えた。この大阿母志良礼の機転によって、人間も宝物も火災を免れたことから、紬や糸錦などの褒美が与えられた。
これによると、仲程大阿母志良礼は聞得大君御殿の火災に際し冷静沈着に対応し、大君や宝物を守るといった大活躍をしています。宝物の場所を役人に指示していたことから御殿の内部の状況に詳しい上級の女官だったのかもしれません。
湧上元雄氏によると、この仲程大阿母志良礼は久高島の外間ノロ殿内の元祖・仲程ノロとして伝えられているようです。久高島では、聞得大君御殿の火神(御火鉢の御前)に奉仕するアガマー(あがま)を勤めた女性が島に帰り、ノロ職を継ぐ例が複数あるらしく、久高島の祭祀が王宮儀礼風の趣を留めているのも、聞得大君御殿で勤めた女性たちの影響があるようです。
聞得大君御殿では「火鉢のあむしられ」と呼ばれる女官もしくは神女が、御火鉢の御前を祀っており、仲程大阿母志良礼はその職務にあたった女性だったと想定されます。聞得大君の火神を祀る女官が、大火から人々を守るという話は、まさに火神の加護があったのかもしれません。
参考文献:湧上元雄「イザイホー見聞録」『沖縄久高島のイザイホー』1993年砂子屋書房
2008年05月16日
祝!山城まんじゅう
お店に入ると、サンニン(月桃)の香りがふんわりただよって、とてもうれしくなりました。
場所は、元のお店のとなり、cafe「SUI」と同じ建物の奥にあります。

2008年04月05日
伊是名巡り その3
伊是名玉御殿でも、4月2日に行われたようです。
さて、伊是名玉御殿での清明祭がいつ頃から行われたのは不明ですが、現在行われているような形の「公事清明祭(クージヌシーミー)」の実施は1870年からです。
首里王府は、伊是名玉御殿においても首里の玉御殿(玉陵)と同じ格式を持つ清明祭を実施することとし、1870年に伊江王子を代表とする使節団を島に派遣し、一行は首里風のやり方を指導して、今後は指導通りに挙行できるようにしました。
まず、その実施するために必要な道具類を支給し、さらに、公事清明のやり方を細かく記したマニュアル(文書)を与え、以降は銘苅家を中心とした四殿内で祭祀を執り行うこととしたわけです。
これら道具とマニュアル本である古文書は、銘苅家に大事に伝えられており、現在は伊是名村ふれあい民俗館で保管・展示されています。
道具については、漆器を中心に陶器や金工もあり、現在でも年に1回の清明祭では使用されるという、いわゆる生きた文化財です。
古文書については、「玉御殿御初祭并清明御祭祀日記」、「玉御殿道具帳」などがあり、清明祭が挙行されるまでの日記、道具のリスト、祭祀を挙行するための道具の設置方法や料理のレシピといった資料があります。
道具とその使用方法が記された古文書が一式残っており、さらに祭祀が行われた伊是名玉御殿(場所)、それから現在行われている清明祭を含め、資料と場所と祭とが複合的に存在しているという点は沖縄では珍しい事例です。
ちなみに現在の公事清明祭は、戦後は四殿内の門中行事として行われていたものを、尚裕氏の来島をきっかけに、1974年から復活したものだそうです。
現在は伊是名玉御殿を管理している伊是名村が主催で行われています。
実は、公事清明祭はまだ生で見たことないのです・・・来年にでも見に行けるかな

今回の友の会巡見では、ふれあい民俗館で展示された、道具類を見学しました。
小さな資料館ですが、その資料の意味を知った上で鑑賞することで、全く違った印象で見えたのではないかと思います

写真がないので、遠方からみた伊是名城跡です(ふもとには、伊是名玉御殿がみえます)

参考文献
・『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書-公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の品々』 伊是名村2007年
2008年04月04日
伊是名巡り その2
金丸が首里で第二尚氏王統を樹立した後に、伊是名島に残った彼の姉・叔父・叔母の3人に対し、特別な役職が与えられました。
姉の真世仁金には「伊平屋の阿母加那志」という神女職、叔父の真三良には「銘苅大屋子」という特別職、叔母の真世仁金には「二かや田の阿母」という神女職がそれぞれ与えられ、代々世襲されることになります。
「二かや田の阿母」については、叔母の真世仁金が死去した後、二人の娘が同時に二かや田の阿母職を継いだために、その職は「南風」(姉)と「西」(妹)の二つに分かれた。それ以後、銘苅大屋子のみは男子が、それ以外の三家は女性が代々世襲する慣わしとなった。
この4つの家柄の総称を「四殿内」と呼びます。
四殿内は王家に縁がある家柄として、祭祀権などが与えられ、首里城にも訪れています。特に銘苅家については系図を持つことが許され、島で唯一の士族でもありました。
金丸の両親とその四殿内を葬った場所と呼ばれるのが、伊是名玉御殿です。
伊是名グスクの麓に北面して造営されており、破風形式の墓の壁面は漆喰で塗り固められています。
玉御殿の創建は尚円の子の尚真王の代(1477~1526年)だと伝えられています。
当初の墓は一軒の木造瓦葺きの建物であり、さらにその屋内に板葺きの建物が設置され、その中に唐石厨子二基を安置する構造でしたが、1688に修理され、現在の石造りの墓となりました。
墓室は二つあり、左側が東室、右側が西室になっています。
2005年、尚泰王の孫にあたる井伊文子氏の分骨式が伊是名玉御殿で行われ、その機会に墓室内の調査が行われました。
その結果、東室には中国産の輝緑岩(青石)で造られた二基の石厨子、西室には甕厨子が17基、屋形厨子が3基の合計20基の厨子が確認されており、さらに、西室の厨子からは、同治9年(1870)に東室から移されたことが記される銘書が数件確認されています。
ちなみに、同じく尚泰王の孫で尚家の第22代当主・尚裕氏の遺骨も伊是名玉御殿に埋葬されました。
何度も修理が行われ、変遷をとげてきた王家ゆかりの墓・伊是名玉御殿。
まだまだ多くのナゾがある不思議な空間なのです・・・。
たしか3日に、伊是名村主催で清明祭が行われたはず・・・
清明祭と四殿内については、その3で。

参考文献
・『首里城研究 特集伊是名玉御殿調査報告』No.9 首里城研究会編 2006年
・『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書-公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の品々』 伊是名村2007年
2008年04月02日
伊是名巡り その1
。伊是名島といえば、第二尚氏王統の始祖・尚円王(金丸)の出身地として、島おこしのテーマともなっています。
金丸の出世伝承は主に次のとおりです。
金丸は伊是名島の諸見村の百姓として生まれ、20歳の時に父母を同時に失います。
ある飢饉の年、彼の田んぼだけ水量が豊富であったことから、村人に水泥棒の誤解を受け、24歳の時(1438年)に島を脱出し、沖縄本島へ向かいます。その後、各地を転々とした後、1441年首里に上り越来王子(後の尚泰久王)の家人となり、1453年尚泰久王が誕生することによって内間領主、御物城御鎖之側に出世します。
1460年の尚泰久王死去により、次の尚徳が王となると対立し、1468年(54歳)領地で隠遁生活を送ります。その翌年に尚徳王死去し、クーデターが起こり迎えられて王となり、第二尚氏王統が始まります。
伊是名島には、金丸の生家跡である「みほそ所」と産湯を使ったとされる「潮平御川」、さらに水の涸れない伝承のある「逆田」が史跡として残されています

「逆田」は、現在でも水の涸れない場所として伊是名の人々に大切にされています。
現在は伊是名村教育委員会が管理し、地域の子供たちの体験学習の場として利用されているそうです。

また、字諸見の「みほそ所」「潮平御川」一帯は尚円王御庭公園として整備されていました。
公園の中央には、島にいた若き頃の金丸像が

当時の金丸の姿はわかりませんが、島を出る百姓姿の金丸が櫂(かい)を持ち、行き先の国頭村の宜名真を指さす姿を表現しています。この製作には、伊是名島出身の高良倉吉先生と名嘉睦稔さんがたずさわったそうです。
なんとなーく、お二人に面影が似ているような気がするのは気のせいでしょうか

そして、金丸像の姿は伊是名島ではすっかり定着したようです。
子供たちの劇でも、わざわざポーズをとらせていました

私も学生時代に、この金丸像の前で同じ格好で記念写真をとった記憶があります。
すっかり金丸のイメージですね

2008年04月01日
首里かわらばん9号発行
首里かわらばん9号が無事発行されたようです

今回は「寒川町特集」です。
私も今朝、モノレール駅で気がつき、思わず1部ゲット

主な設置場所は、事務局のサイトからご確認ください。
首里まちづくり研究会
http://happy.ap.teacup.com/suimachi/
次回はいよいよ第10号。ここにいたるまでに長い時間がかかりました。
また気を引き締めてとりかかりたいと思います。
首里について知りたい情報、知ってる情報があれば、お気軽にメッセージ、コメントをくださいませ。
2008年04月01日
伊是名島巡見
3月29日(土)、30日(日)の1泊2日、首里城公園友の会による伊是名島巡見に行って参りました。
一応、講師という名目だったのですが、講師の貢献度よりも企画勝ち!といった感じでなかなか有意義な2日間でした。
今回の参加者は、事務局を含めて総勢26名。
29日の朝一便にて伊是名島へ渡ると、宿泊予定の「なかがわ館」の中川さんがバスにてお迎えに来てくださいました。
昼食をとって、さて島内巡見。
色々話さねばと若干緊張していると、中川さんがバスの中から現地から、見事なガイドをしてくださいました
私も思わず、普通にお勉強・・・。
一応、私の今回のテーマは、尚円王に縁のある家柄・四殿内に関わる話をメインに考えていたので、役割分担はできたのですが、自分の仕事を忘れて、島の伝承や言われを含めて楽しんでしまいました
昼間の主な巡見コースは、尚円王御庭公園(みほそ所、潮平御川) → 逆田 → 銘苅殿内(銘苅家住宅) → 伊是名村ふれあい民俗館 → 伊是名島森林公園(展望台、サムレー道) → 伊是名玉御殿 といったところ(文化財・史跡の部分のみ抽出)。

上の写真は、尚円王(金丸)の生家跡・「みほそ所」で解説する中川さん。
伊是名玉御殿の前での記念撮影
そして夜の部は、伊是名村産業支援センターで行われた、伊是名の子供たちを中心に演じられる「史劇・尚円~松金が行く」を見に行きました。今回、偶然日程が重なったのでオプションという形でご案内したのですが、参加者ほぼ全員で見て参りました。
子供たちが非常にかわいくて、なかなか見事なものでした。途中に、勢理客の豊年祭で行われるウンナー(綱引き)のシーンも出たりと本格的でした。
ラストシーンは定番のポーズ
ここ数年は伊是名といえばこのポーズですね。
会場では席を確保するために、事前に予約を入れていたら、なんと特等席を確保していただいていました。
伊是名の方々のご配慮に感謝すると共に、非常に恐縮です・・・
(沖縄ツーリストの添乗だったので、その予約名です)。
そして翌30日午前中も、当初はフリー企画だったのですが、ここでもオプションとして、伊是名島のNPO島の風の理事長である納戸さんより、現在、島で行っている古民家再生事業などのレクチャーをしていただきました。
こちらも、全員が参加していただき、納戸さんの島に対する熱い思いや、島の取組みを熱心に聞いていただきました。
上の写真は、現在改修中の字勢理客の民家です。

勢理客公民館での納戸さんのレクチャー。
皆さん何度も頷いたり、一生懸命聞いてくださいました。
島の風の活動は、古民家再生だけではなく、11月に行われた銘苅家住宅を活用した「しまあかりプロジェクト」のコンサートの様子やエコバックの利用など多彩で、伊是名島だけではなく、色々な地域で応用できる発想ではないかと思いました。
1泊2日の短くて、でも非常に盛りだくさんの伊是名ツアーでした。
本当ならば、時間を忘れて島の風景をぼんやり眺める時間も欲しかったのですが、団体でのツアーなのでさすがにかないませんでした。
伊是名島は大好きな場所のひとつなので、また機会を見つけて今度はゆっくり遊びにいきたいと思います。
・・・今回のまとめを見てみると、私は講師というより、ツアコンか?といった感じですが、詳細はそれぞれ別に紹介したいと思います
当然ですが私のカメラなので、私の解説している写真が一枚もないという・・・悲しい結果になりました。参加者の方々も一生懸命聞いてくれてたのでおそらく、誰も撮影してくれていないと、思います
解説したという証拠がないのだよ~
首里城公園友の会の平成19年事業は無事終わりました。
そしてまた平成20年度事業も、楽しい企画と共に、私も色々楽しい体験ができればな、と思います。
****************************************
首里城公園友の会、平成20年度会員様随時受け付中です
問い合わせ先
首里城公園友の会事務局
(首里城公園管理センター内)
℡098-886-2020
****************************************
2008年03月23日
カヌチ棒の寄託
3月23日(日)、沖縄県立博物館にて、当蔵自治会から博物館へカヌチ棒の寄託が行われました。
このカヌチ棒は、昨年10月に行われた綾門大綱復興イベントにて、大綱を結ぶために使用されたものです。
かつての行事を復興に寄与した貴重な資料として、今後は博物館で保管されます。
博物館入り口にて、牧野博物館長から宮城当蔵自治会長に預かり証が渡され、3本の大小のカヌチ棒は、てぃーむち会の手によって博物館の収蔵庫(一時保管室)へあずけられました。
なにはともあれ、綾門大綱復興実行委員会、当蔵自治会、さらにてぃーむち会の皆様、これまで本当にお疲れ様でした
寄託されたカヌチ棒
宮城当蔵自治会長と牧野館長ががっちり握手

カヌチ棒と最後の記念撮影

本カヌチは4人かかりで運ばれました。重そう~

ちなみに、沖縄テレビの夕方のニュースに先ほど出てましたよ~
2008年03月23日
首里城周辺めぐり
3月22日(土)、首里城公園友の会主催の「首里城周辺めぐり」が行われました。
今回の講師は、琉球大学教授の高良倉吉先生。会員さんと25名と共に、約2時間強のコースを歩いてきました。
首里城 → 中城御殿跡・大美御殿跡 → さくの川(カー) → 本覚山 → 宝口樋川・紙漉所跡 →太平橋跡 というコースで、首里の坂道を登ったり、下ったりという工程でしたが、なかなか個人では行かない場所もあったりと新鮮な周辺めぐりでした。
今回の目玉は、本覚山(金武御殿の墓)でした。尚豊王の母親のために立てられたとされる墓であり、横には「本覚山碑文」という石碑も現存しています
その他、さくの川では芭蕉紙、宝口樋川では百田紙が漉かれていたそうです。人々の生活だけでなく、王国時代の政治・外交に必要な紙の製作にも、首里の井泉は重要な役割を果たしていたのですね。

さくの川(カー)です。今でもコンコンと水が湧いています。
本覚山では、しっかり腰をおろして、じっくりと碑文の内容についてのレクチャーを受けました。
後方左側に見えるのが、本覚山碑文です。
宝口樋川にて。
首里城公園友の会の平成19年度事業も、残るは来週の伊是名巡見のみ。
さあ、楽しく安全に成功させねばと、意気込み満点です。
*****************************************
首里城公園友の会、平成20年度会員様随時受け付中です
問い合わせ先
首里城公園友の会事務局
(首里城公園管理センター内)
℡098-886-2020
*****************************************
2008年03月17日
伊是名に行きます
しかも・・・講師で・・・。
この企画は、年度の始めから決まっていたのですが、日程を決めずにいたためズルズル年度末になってしまいました。
伊是名島は、尚円王(金丸)の生誕の島として知られる歴史の島です。
仕事でちょくちょく通っていたのですが、そういえば改めて史跡巡見と行っても、全島巡ったのって数える程しかない

これからやっつけで思い出しながらお勉強です。
伊是名島には、四殿内(ユトゥヌチ)と呼ばれる尚円の姉、叔父、叔母の家系があり、尚円の親と一族を祀った墓が島にあり、伊是名玉御殿といいます。また伊是名玉御殿で行われる公事清明祭のために、首里王府から下賜された資料類(銘苅家資料)が、現在、伊是名村ふれあい民俗館にあります。
仕事柄、伊是名玉御殿と関連する資料群について調査する機会があったので、今回のテーマはきっとソレ

約25名の会員さんとの一泊旅行ですが、あまりきばらずに楽しんできたいと思います
。その前に仕事終わらせて勉強しなきゃね・・・

写真は国指定文化財の銘苅家住宅です
2008年03月16日
尚順男爵について

尚順氏は、琉球最後の国王・尚泰の四男として生まれ、松山王子・松山御殿を称した方です。明治以降は事業家であり、貴族院議員でもありました。様々な事業を経営する他、博覧強記の教養人、趣味人として、特に書については沖縄の名筆とされた人物です。沖縄戦にて亡くなりました(1873~1945年)。
その住まいにあたる松山御殿は首里桃原町にあり、大正13年には桃原農園を設立し、沖縄の温暖な気候を活用した熱帯果樹や香辛料、寛容植物の栽培が行われたそうです。松山御殿は沖縄戦で消失。戦後は桃原農園(首里トロピカルガーデン)として一般に開園されていました(現在、敷地の一部は「ラ・フォンテ」というレストラン)。
尚順氏は非常に美食家だったらしく、その遺稿集『松山王子尚順遺稿集』にも、食について述べられています。
「沖縄に住む」では、その松山御殿の食卓を再現して紹介しています。
写真を見てるだけでも・・・おいしそ~です

先日、県立博物館の新収蔵品展に行くと、収蔵品の中にかつて松山御殿にあった資料も展示されていました。
その中に、尚順氏と真子夫人の肖像画もありました。写真をもとに描かれた肖像画で、もとの写真も本などで拝見したことはありましたが、キリリとした面持ちの尚順氏の姿は展示資料の中でも印象的でした

※一番の目当ては、「孔子及び四聖配像」だったのですが・・・
http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/topics/detail.jsp?id=42
松山御殿の敷地には、「サスカサ樋川」と呼ばれる立派な井泉が残っており、現在でも信仰の対象とされています。
松山御殿や尚順男爵については、いつか「首里かわらばん」でも取りあげられたらいいな~

参考文献:『松山御殿物語』刊行会編 『松山御殿物語 明治・大正・昭和の松山御殿の記録』ボーダインク社
2008年03月15日
首里かわらばん雑録
本当に緊張していたのが伝わったようで、ずいぶんネタにされました。
告知の中で紹介した「てぃーむち会」の方には、早速、慰労の酒宴を設けていただきました。
おそらく集まるきっかけが欲しかっただけかも・・・とは思いますが、ありがとうございました。
さて、首里かわらばんは第1号から試行錯誤をくりかえして製作しているので、デザイン等も毎号すこしずつ異なります。
その中で、第2号から変わってないのがタイトルデザインです。
こちらは第2号から参加していただいた、石原左内さんのデザイン。
当時は首里金城町にお住まいになり、いつも物静かな語り口調で、私が伝えたいテーマについて、デザイン面からアドバイスをくださっていました。
現在はお仕事の都合もあり東京にいらっしゃいますが、昨日、このブログを見つけてくださり、久々にメールをいただきました。
その件を早速、夜に行われた首里かわらばんの編集会議で報告したところ、改めてそのタイトルを皆で見入ってしまいました。
「綾門大綱のミーチカヌチ(三つの貫)の話をしたら、石原さんが早速イメージイラストを描いてきてくれたんだよなあ。あれがあったから皆のイメージづくりになった」と会議メンバーの石崎さんがおっしゃっていました。
・・・そういえばそうでした。
石原さんって短い期間だったけれども、首里の活動に大きな足跡を残したんですね。
なんだか少しうれしくなって、ちょっとご紹介させていただきました。
石原さん、早速ネタにしてすいません。
また沖縄に来ることになったら、ぜひ首里で会いましょうね。
13日、14日はかわらばんデーといった感じでした。
9号も完成形に近づきつつあり、発行が楽しみなところです。

2008年03月13日
タイフーンFMに出演してしまいました
いつの間にか3月。年度末のあわただしさの中、日々すごしています。
首里かわらばんも、第9号の発行に向けて着々と準備が進んでいます。
そんな中、タイフーンFMさんの「ヒトワク」という番組で、「首里かわらばん」の宣伝をさせていただきました
。15分程度の時間でしたが、朝から緊張しすぎ、何を話すか考えすぎ。
仕事も手につかず、当然仕事を抜け出して、首里まで意気込んで行って参りました

結果、メモ書きで作ったペーパーを一行も見ることなくしゃべり倒してしまいました。
一部しどろもどろしてますが、必死さを早口でカバーしているのが、聞き直すとよくわかります。
ナビゲーターは諸見里杉子さん
。この方も、首里かわらばんを通じて知り合うことができた方ですが、声がきれいで(当然か・・)、とても素敵なお話をされる方です。
久々にお会いできてうれしかった~。
もし良ければ、聞いてください。
ちなみに大事なことを言い忘れていました。
この「首里かわらばん」の編集は、「首里かわらばん編集会議」であるということ。
お話の中で、発行が総合事務局と首里城という体制から、地域のNPO首里まちづくり研究会に移行したことは述べましたが、編集の体制として、行政と首里城、さらに地域の有志の方々による会議の場を設けて、テーマや内容を決めてこれまで発行されてきました。
首里まち研に移ってからは、会議のメンバーから行政関係の方はなくなっていますが、基本的にはそのスタンスは変わっていません。当初から一緒に関わってきた人々の支えあっての「かわらばん」、その事を話すのを忘れてました。
ここでちょっと補足しておきます。
首里かわらばんのバックナンバーは、ネットでも見ることができます。
発行済みの8号までは既に掲載済みです。
こちらのサイトからどうぞ↓
e-首里.com
http://www.e-sui.com/kawara/
現在作成中の第9号は、3月末に発行予定です。






日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!